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「あなたは何を子孫に遺すか」 出エジプト記12章21~28節

去る8月19日、福間教会名誉牧師の野口直樹先生が84歳の生涯を全うし、主の御許に召されました。再婚して9ヶ月余りの日々を共にされたお連れ合いの由美子さんによる出棺時のお礼の挨拶に、「とても楽しく充実した結婚生活でした。預金通帳の残額はほとんどありませんが、何にも代えがたい幸せな日々の想い出をいっぱい残していただきました」と語られた言葉が印象的でした。又、御長男のお話しによると、先生は帰天を前に4つの言葉を「会葬者に」遺されたそうです。それは「ありがとうございました」「すみませんでした」「楽しかったです」「またお会いしましょう」です。故人が会葬者に挨拶を残すあたり、いかにも野口先生らしいのですが、確かに、これこそ先生が遺しておきたいメッセージ、信仰のエッセンス、「感謝」「悔い改め」「喜び」「希望」でありましょう。

教会では、毎月第一主日の礼拝で、「主の晩餐式」を行います。キリストの十字架の死と復活を通して与えられた神の恵みを、繰り返し想起するためです。この晩餐式の起源は、旧約時代の「過ぎ越し」にあります。イスラエルの家庭はエジプトの地から救い出された恵みの出来事を忘れないように、各家庭で「過ぎ越し」の儀式を行いました。こどもたちは「この儀式にはどういう意味があるのですか」と問い、父親はその意味を語り伝えます(出エジプト12:26~27)。毎年、毎年、繰り返して行う事が家庭教育の根幹であり、義務でした。そして教会は、「過ぎ越し」の完成である「十字架」を想起し続けます。そして、「この意味は何ですか」と問われて答える言葉がⅠコリント11:23~26の御言葉なのです。

主イエスの体を表すパン、十字架上で流された血潮を表す杯、これを受けるごとに、「ありがとうございました」と感謝を表し、「すみませんでした」と悔い改めを告白し、「楽しかったです」と主イエスと教会の交わりを喜び、「またお会いしましょう」と復活の希望を確認するのです。真に、主の晩餐式は「わたし自身、主から受けたもの」であり(Ⅰコリント11:23)、子々孫々に継承すべき信仰教育の基本なのです。

       TK生

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