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「わたしたち」の幻 使徒言行録16:6~15

去る11月12~14日、伊豆天城山荘で開催された第60回日本バプテスト連盟総会において理事会が提出した「2015年度活動計画案」が否決されました。長い連盟の歴史の中で理事会からの「活動計画案」が否決されたのは初めてのことだと思います。いつもの年であれば「さあ、来年も協力伝道に励もう」と胸を躍らせながら教会に帰ってくるのですが、今年は諸教会の代議員諸氏は少し重い足取りで帰路に就いたのではないでしょうか。でも、この経験は大きな収穫でもあります。

バプテストは事柄を決めるにあたって、一人のカリスマ性を持ったリーダーを無批判に信頼して上意下達的に従うのではなく、皆が責任ある主体となって神の御心を求めるという、全員参加型の道を選び取ってきました。これが「会衆主義」とも呼ばれるもので、民主主義的議会運営はバプテストの歴史から発生しているとも言えるのです。多くの場合は、豊かなカリスマ性に基づく提案は吟味された上で皆のものとなり共有されていくものですが、今回の提案は参加者の総意に至らず否決されました。でも、ここから、より豊かな「わたしたち」の歩みが再構築されるのです。

使徒パウロは絶大なるカリスマ性を備えた指導者でありました。神は彼の優れたリーダーシップを用いました。使徒言行録の後半には、パウロが強力に進める福音宣教の足跡を読み取ることが出来ます。しかし、使徒言行録筆者のルカは、「パウロ」に与えられた幻を「わたしたち」のこととして吟味したことも記します。即ち、「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されたのだと、確信するに至ったからである」(使徒16:10)とあるのです。「確信するに至る」(シュムビバゾー)とは「綿密に検討し結び合わせる」という意味です。

パウロ一人のリーダーシップに任せる危うさを見抜き、「わたしたち」の幻と読み取る作業が加えられることで、盤石な世界宣教が始まったのです。バプテスト会衆主義の真骨頂もここにあるのです。

    TK生

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