神に返しなさい! (マタイによる福音書 22章15~22節)
- 金子敬
- 2015年2月14日
- 読了時間: 2分
「戦後レジームから脱却する」とは最近よく耳にする言葉です。その意味するところは、敗戦後に押しつけられたとする憲法によって枠組みされた政治機構からの離脱のようです。吉田茂、岸信介、佐藤栄作そして安倍晋三に至る敗戦後の天皇家に繋がる親族による政治支配者にとって、戦前(天皇制)への回帰こそ御先祖様への証しなのかも知れません。経済成長を掲げた選挙で政権を維持すると、国民から一切の権限を付託されたとして、原発再稼働、軍事国家体制へと邁進し始めます。集団的自衛権、特定機密保護法制定など、もはや外堀ではなく内堀も埋められつつあり、戦争できる国へと法整備が行われています。
日本にも見られる国家と宗教の癒着は人間の自由を脅かし、口封じを進めます。親ユダヤ宗教集団のファリサイ派と、「ローマの平和」に依り頼むヘロデ派、その両者の主張は真っ向から対立するものです。しかし、この両者にとって認めがたき存在こそ、主イエスなのです。何故なら主イエスは常に真の神にのみ従う者であり、国家も宗教も人間の主とはなりえないと主張されるからです。ローマ皇帝への人頭税に対してイエスがどう考えるか、納税を支持するのであればユダヤ人から突き上げられるでしょうし、支持しないなら皇帝への反逆罪の汚名を着せることが出来ます。
しかし、イエスは納税に用いる銀貨に刻まれている肖像と銘(それはローマ皇帝)を確認させ、「皇帝のものは皇帝に」と答えた後に、「神のものは神に返しなさい(償還させなさい)」(マタイ22:21)と言われたのです。そのため、納税問答は一気に「主告白」を迫る問いへと変えられてしまいました。「税は納めよ、でも、あなたは誰のものか。神のもの、神の像に刻まれたものではないか。」との言葉が響きます。人間は国家にとって使い捨て可能な消耗品ではありません。国家にからめ取られることのないよう、神のものは神のものとすること、即ち、キリストの福音を一人一人にお伝えして、主告白者へと奪還すること、これこそ教会の使命なのです。今の時代を見極めつつ、主イエスと共に歩んで参りましょう。
TK生
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