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贖罪、償いの約束 (ヘブライ人への手紙 9章23~28節)

  • kogabaptist
  • 2015年2月28日
  • 読了時間: 2分

先日何気なくテレビ番組「徹子の部屋」を観ていますと、プロゴルファーの宮里藍が出演していました。その中で、彼女のような優秀なプロ選手でも一打失敗すると精神的動揺で、次々とスコアを落としてしまうと語っていました。それを防ぐためには技術トレーナではなくメンタルトレーナーが「さあ、藍!ドアを閉めなさい。鍵をかけて、その鍵を遠くに放り投げなさい」と声かけするのだそうです。それは、失敗に区切りをつけて前進するためのアドバイスなのだそうです。彼女はこの言葉に助けられて、失敗を引きずらずに済むと語っていました。流石ですね!もちろん、試合後には、みっちりと反省の時も持つのですが・・・。

日本人は過去の失敗を引きずらないために、「もう水に流しましょう」との言葉をよく用います。しかし、70年前の戦争での加害についても、「いつまで自虐的に過去の恥をほじくり返すのか。もう水に流そう」となると、「少々それは違うのではないか」と言わざるを得ません。他人に損害を与えない自分だけの失敗なら早く水に流した方が良いでしょうが、被害者に対する償いが終わっていないのに、「もう過去の扉を閉め、想い出さないように鍵をかけましょう」などと言い出すことはできないからです。

聖書には「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)とあります。いわゆる「最後の審判」です。忘れていても神の記録には記されています。しかし、感謝なことに、その審判の席にはメンタルトレーナーならぬ贖罪者キリストがおられて、「死に価する罪は既に償われている」と証言して下さるのです。なぜなら、このキリストこそ十字架にかかり、罪深い私に代って贖いの死を引き受けて下さったお方だからです。だから私たちは、「さあ、罪と死の部屋から出て、新しい命の世界に飛び出しなさい。私が鍵をかけておきましたから」との御声に救われているのです。真に「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(Ⅰヨハネ1:9) この約束を知る者は幸いです。

                                              TK生

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