はじめに神の赦しが Ⅱコリント6:3~13
- 内田章二
- 2015年4月12日
- 読了時間: 2分
今朝の聖書の冒頭でパウロは「わたしたちはこの奉仕の務めが
非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず・・・」-Ⅱコリント6:3-と言っています。彼は、クリスチャンには神から託された「務め」があると言っているのです。少しさかのぼって5章18節には「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」とあり、それが「和解の福音に生きる」ことを指しているのだと気付かされます。「和解の福音」と言うとむずかしく聞こえますが、人間は神によって造られ愛されているのに、私たちはその神に感謝することなく、むしろ背を向けて歩んできたのです。人と人との交わりの中でそのような関係が生じれば、たぶん「恩を知らない人だ」と言われるでしょう。神から見た人間の姿は、そんなものなのかもしれないのです。ところが、そんな私たちを救うために神はイエス・キリストを地上に遣わされたのです。イエス・キリストが来られ、十字架に死んで、三日目によみがえられた・・・。そこには罪に汚れた私たち一人一人に対する完全な愛と赦しがあるのです。
赦せない相手を赦すこと・・・。これは神には出来ても人間には出来ないというのが、正直な告白です。ところが、福音書の中でイエスは「何回赦すべきでしょうか」と問うペトロに対して「7の70倍まで」と要求されます。「そんなこと出来るはずがない」と言いたくなりますが、ここまで要求されるイエスの心は、「絶対に赦さない」というかたくなさから解き放たれることにあるのです。ともあれ、赦すことにおいては、はなはだ腰と口の重い私たちです。けれども、まずはじめに完全な愛と赦しが与えられていることを知って、あらたに歩み始めたいのです。パウロも、不完全な私たちであることを知りながら、私たちには和解の福音を告げ知らせる務めが与えられていると言っているのです。この朝、もう一度神から頂いた豊かさに目を留めて、自分自身と隣人を豊かにする「祝福の務め」に生かされていることを喜びたいと思います。
SU生
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