「魂の癒やし主」 詩編42編章1~12節
- 内田章二
- 2015年6月12日
- 読了時間: 2分
詩編には、ダビデの作とされる詩が数多くあります。イスラエルの王ダビデは、すぐれた詩人でもあったのです。けれども、今朝お読みする42編については、作者は「捕囚の民」の一人であるとする研究者が多いのです。詩人がエルサレムを離れ、捕囚の地ではるかに都を望み見て嘆く姿から、メッセージをいただきましょう。
詩人は1節で「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める」と詠っています。渇水期に水を求めて谷を降り、川辺までたどり着いたのに、そこには水はなかった・・・。この鹿のしぐさを見守っていた詩人は「私も渇いている」と気付いたのです。そしてその渇きは「いのちの神」に向かう魂の渇きだと言うのです。私たちはしばしば「魂の飢え渇き」に気付くことなく、否、気付いたとしてもそれは見ないようにして、目に見えるものや、かたちに残るもので渇きを癒そうとします。けれども、それは本当の癒しとはならないのです。
多くの人は、神と向き合うという課題から逃避し、出来れば逃げ切って生涯を終えたいと願っているのではないでしょうか。しかし、この課題と向き合うときに、私たちを造り、私たちを愛し、共にいてくださる方と出会うのです。そして、私たちは究極的に飢え渇きから解き放たれるのです。イエスは、サマリヤの女との対話の中で「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」-ヨハネ4:13、14より-と言われます。
現代は、お金さえ出せば欲しいものはおおよそ手に入り、それを増し加えることで心も体も豊かになるという「神話」が築かれてはいないでしょうか。そのような現実の中に生きる私たちに対しても、詩人は想像を絶する迫力をもって、魂の飢え渇きに気付き、神に心を向けて生きることがどんなに大切なことかを教えています。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め」-詩42:12より-と励ます詩人の言葉を聴き、歩み続けたいのです。
内田章二 協力牧師
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