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幼子のような者に (マタイによる福音書11:25~30)

主イエスは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)と呼びかけてくださいます。この箇所はルカ福音書10章の並行記事から推測しますと、伝道に派遣された72人の弟子たちがイエスのところに帰ってきて報告した時に、主イエスから「お疲れさま」とねぎらいの言葉をかけられた、という物語の中で記されています。私たちは主イエスの弟子たちと言えば、弁舌さわやかな有能な人、信仰心のあつい立派な人を想像するかもしれません。確かに、イエスの時代の宗教界をリードしていたのは「知恵ある者や賢い者」と称せられる律法の専門家でした。しかし、不思議なことに神はこれらの専門家を通してではなく、何の価値もない、学識もない「只の人々」を用いて神の国の恵みを広められたのです。

主イエスは、そのような人々を「幼子のような者」(同25節)と言い表しました。ここで言う「幼子(ネーピオス)」には「愛らしい」という意味はなく、むしろ「無学で何の役にも立たない半人前の者」とでも言い表したらよい人々のことなのです。イエス・キリストが一緒であるとは言っても、ちょっとしたトラブルに巻き込まれれば逃げ出したくなるような半人前の信仰者です。当然、小さな仕事であっても「幼子」にとっては「重荷」です。すぐに「疲れ」てしまいます。しかし、神の国の仕事はこのような人々によって持ち運ばれたのです。そして、この働きに与った「幼子のような者」たちは、主イエスの寄り添いを常に身近に感じることができたのです。

有能な人がその能力のままに行動するのが神の国ではありません。むしろ、すぐに疲れ途方に暮れるような者たちだからこそ担えるのです。何故なら、彼らこそ弱さの中にある人々の苦しみを知っているからです。そして、主イエスがいつも彼らに寄り添っておられること、そこに主イエスの「謙遜と柔和さ」が満ち溢れていることを知らされているからです。

自力では生きられないと知る「幼子のような者」にこそ、「わたしのもとに来なさい」との招きがあります。あなたもその一人なのです。

                                                           TK生

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