「なぜ思い悩むのか」 マタイによる福音書6章25~34節
- 内田章二
- 2015年7月10日
- 読了時間: 2分
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」-マタイ6:34-。
私たちにとって、「明日」という日は、ある場合に大きな悩みの種であることが多いものです。10年後、20年後、私は、そして私の家族は何処で何をしているだろう・・・。
そもそも、私たちはなぜ思い悩むのでしょうか。それは、ひとつには「明日のことは誰にも分からない」という不安に駆られるからです。では、もし、誰かが「あなたの明日をお見せしましょう」と言ってくれたら心配しなくてすむのでしょうか。いいえ、たとえ誰かが明日を見せてくれたとしても、それで本当の安らぎが与えられるわけではないのです。なぜなら、明日のことが分かっても今度は明後日のことが心配になる・・・。私たちの悩みは永遠に尽きることがないのです。
もう一つのこととして、私たちは意識する、しないに関わりなく、目に見える富を蓄え、整えることで平安が得られると思っています。しかし、私たちにいのちを与え、すべての必要を満たして下さる神を見失っているなら、思い悩みから解き放たれることはないのです。
イエスは「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」-同27節-と言われました。その通り、私たちは自分自身の明日をコントロールすることなど出来ないのです。
けれども、私たちが行くところに必ず共におられて私たちを支え、助けて下さる方がおられるとしたら、どうなのでしょうか。「どこかにおられる」のではなく、私が行くところに「必ずおられる」方を見いだし、この方を見上げて歩む時に、私たちは初めて安らぐことが出来るのです。「私は世の終わりまで、あなたがたと共にいる」-マタイ28:20-と約束して天に帰られたイエスが今日も私と「共に」歩んで下さるのです。
この朝、私たちはもう一度、共にいて下さるイエスを心にお迎えして、新しい一週間を歩み出そうではありませんか。
内田章二 協力牧師
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