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神を知る道を歩もう (詩編19編 2~11節)

日本は宗教人口2億人以上と言われます。人口の約2倍になります。この特異性は、5年ごとに世界の主要大学が協力して18歳以上で無作為の人々1000人を対象に行われる宗教調査にも現れます。この調査の中に「神の存在」「死後の存在」についての問いがあり、「ある」との回答が、イスラム圏諸国(エジプト、インドネシアなど)では95%、欧米のキリスト教圏諸国でも60~70%以上なのに対して、日本は35%弱です。

宗教人口が多くて信心深いと言う面と、何を信じるかについては曖昧であるとの二面性が特徴として表れています。なぜ曖昧なのか、それは日本人の宗教観が「現世利益」にあるからではないでしょうか。「御利益」の有無が当たり前のようにして語られる日本宗教。それは、「神利用」であり、誠実に神と向き合う生き方から遠く離れた「偽りの信仰」と言えるでしょう。

聖書は神の存在を前提にしています。それは当たり前のことなのです。パウロは神の言葉を知らない異邦人についてさえ、「神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。」(ローマ1:20)と、「神など知らぬ」との考えを論破しています。旧約の詩人が、「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」(詩編19:2)とうたうように、天体の運行から、顕微鏡下の世界まで、実に被造物は神の偉大さに満ち溢れているのです。

同時に、聖書は天地を造られた神が人格的な交わりの神でもある、と記します。即ち、人間がその規範とすべき「教え」を「律法」として書きとめ、更には「神の言」が独り子イエス・キリストとなってご自身を現わされた、とも記します。私たちは、大自然の雄大さに包まれる中で神の存在を知り、神の教え「律法」によって神の義と真実、そして人間の罪の実態を知り、更に、人となられた神の言(イエス・キリスト)によって、神の愛、即ち、御子イエス・キリストの十字架による救い、永遠の命の世界を知らされたのです。

死んだ後に神の存在に気付き、慌てるのではなく、今、神の教えである聖書に親しみ、主イエスに結ばれて神を知る道を歩む人は幸いです。

                                                       TK生

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