敗戦70年の節目にあたって (出エジプト記20章 2、13~17節)
- 金子敬
- 2015年8月14日
- 読了時間: 2分
近代日本の幕開けを明治維新に置くならば、それは鎖国を排して諸外国に門戸を開いた歴史の節目と言えます。しかし、この開国はアジア諸国への侵略の始まりでもありました。日本は1874年(明治7年)の台湾出兵に始まり、日清戦争、日露戦争、更に韓日併合、満州事変と満州国樹立、そして太平洋戦争で東アジア一帯を侵略し領土を拡大し資源を奪取し続けたのです。この70年間に及ぶ侵略戦争は、最後の5年間で(民間人80万を含む)310万以上の日本人戦死者、2000万以上の東アジアの人々の命を奪いつつ、遂に1945年8月15日の敗戦に至りました。実に、敗北するまで止められないのが戦争です。この教訓のもと、戦争の永久放棄を謳う日本国憲法の制定となり、敗戦後70年間、日本は戦争を起こさず、内外に一人の戦死者も出さない歴史を刻んできたのです。
聖書が証しする主イエスの「神の国」は、全世界が神の愛の下にある一つの共同体として捉えるところにあります。イエスは旧約聖書に記された殺人禁止規定における「共同体」解釈で、イスラエル「一国家共同体」と言う枠組みを外して、敵も味方もない「全世界・人類共同体」へと止揚しました。それ故に、「殺してはならない」との戒めの及ぶ範囲は、全ての命の尊厳にまで及び、国家間の戦争だけでなく、あらゆる社会構造的暴力(人権抑圧、差別、富の格差など)の禁止に及ぶことをも明らかにしたのです。
聖書は「殺すな」の根拠を、神の愛に置いています。「わたしはあなたを・・・奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト20:2)と、救済の出来事を想起させ、それ故、もはやお互いに殺すことなどあり得ない、と断言するのです(「殺すな」は断言的禁止形で「殺すはずがない」の意)。
教会の使命は何か?「殺してはならない」と、この十戒にある掟を語り続けることです。しかし、更に言うならば、殺し合う必要のない、神の愛の中にあるお互いであることをすべての人に伝えることなのです。然り、主イエスの言葉、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)との宣教こそが急務であると言えるのです。
TK生
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