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「聖書における最初の戦争」 創世記 14章11~24節

  • 大野宏昭
  • 2015年8月20日
  • 読了時間: 2分

創世記一四章は戦争の記事で始まっています。どのような理由があったとしても、戦争は罪であると叫ばねばなりません。かつて日本がアジアにおいて犯した罪、また自らも原爆の悲惨さを味わったこと、そして今なお世界中の人びとが苦悩の中にあることなど、戦争のもたらすものは計り知れません。戦争は「悪」ではなく、戦争は「罪」だということ、これを善悪を越えた人間の根源的な叫びとしていく必要があります。

今から30年以上前に、ある雑誌の「反戦特集」に掲載されたポスターが話題となりました。作ったのはコピーライターの糸井重里さん。銃を担いだ戦闘服姿の二人の男が手を差し伸べて、見る者にこう語りかける。「まず、総理から前線へ」。政治家が無責任に国民のいのちをもてあそぶ事に対する強烈な批判が伺える。しかし「戦争反対」と本気で言うなら、「誰ひとり戦場に行っていけない」と言うべきではないだろうか。安倍総理はじめ政治家も戦争に行ってはならないのだ。なぜなら、私たちは戦争に反対だからだ。政治家は、実際戦場には行かないだろう。ゆえに「まず、総理から前線へ」の文章には力がある。だからといって、それでも「まず、あなたが前線へ」などとは言ってはいけないだろう。 

この章で、私たちは聖書における最初の戦争の場面に直面させられます。その後は、もう数えきれないほどの争いが聖書に出てきます。そして人類はこの戦争と手を切ることができないまま、今日に及んでいます。ある人は、「民と民との間に起こる戦争は、いつの場合にも、過去が克服されていないしるしです」と書いています(W・リュテイ)。

キリストの十字架は、この過去の克服のためにこそ、なし遂げられた和解の道です。十字架から来る真の平和はまず、神と自分との和解、

そして十字架を仲立ちとした人間相互の平和、さらには自分自身との和解をもたらします。

これ以外に、戦争を本質的に解決する道はありません。

                                   大野裕昭(川崎バプテスト教会牧師)

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