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わたしたちの平和 (エフェソの信徒への手紙2章11~22節)

  • 金子敬
  • 2015年8月28日
  • 読了時間: 2分

気の合う人々との交わりは楽しいもので、いつまで一緒にいても疲れることはありません。教会の交わりもそうでありたいと願い、居心地の良い教会を理想的な愛の共同体と考える人も少なくありません。しかし、そのような「お仲間的な」交わりは、聖書が指し示す「神の国」、「愛の共同体」の姿とはかけ離れていると言わねばなりません。なぜなら教会とは気の合う人々だけの「仲間たち」ではなく、キリストから使命を託された集団(キリストの体)であり、その使命は「福音宣教」であって、「平和と和解」を実現することにあるからです。

この働きにおいては、自分と異なる人々との共生が課題となります。自分と考えが合わない人に、「あなたの考えはおかしい」と切り捨てるのではなく、「どうしてそう考えるの?教えて!」と心を開くのです。必ずしも同調するのではなく、「違い」を「広がりの豊かさ」として受けとめるのです。そして、その人をその考えに導いた背景を知るのです。一歩下がって低いところに身を置くと、そこに理解(Under-standing)が生じます。

この「一歩下がって」と言うところに、実は、平和と和解の主、イエス・キリストがおられるのです。その人の存在を支えておられるお方を見るのです。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2:14)から始まる初代教会の「信仰告白」の言葉は、主イエスが、一番低いところに身を置き、そこにある「敵意」を十字架上に引き受けて、両者を結び合わせる「和解」(「触媒」とも訳せる)となったことを証ししています。

平和は、人々が互いに努力するだけでは作り出せません。そうではなく、既に「十字架を通して」(同16節)、神から与えられているものです。努力すると言うなら、この事実に気付いて頂くように、主イエスの十字架を伝えることに努めることです。異なる一人一人がイエスに結ばれることで「神との平和」を得ていると知らされ、そのお互いがキリストにおいて一つとなることで、「わたしたちの平和」が実現されるからです。

                                                    TK生

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