聖書による養い (テモテへの手紙二 3章10~17節)
プロテスタント教会には、教派を超えて大切にする「五つの約束」があります。①聖書を読む、②お祈りをする、③礼拝を大切にする、④献金をする、⑤伝道する、の5項目です。恐らく私たちが神と人々に対して責任ある信仰生活を行おうとするときに、この「五つの約束」は非常にバランスのとれた優れた養いの内容と言えましょう。
そして、この約束が「聖書を読む」から始まることが重要です。今、古賀教会では「教会の信仰告白」と「ミッションステートメント」を作る作業に取り組んでいますが、この作業も、聖書が証言しているキリストをいかに告白するかに掛かっていると言えるのです。
私たちバプテスト教会は「宣教(ケリュグマ)」と「教育(ディダケー)」を教会形成での車の両輪としてきました。そして、教育において用いるテキストに「聖書教育」との名称を掲げ続けてきたのです。教会教育は聖書教育のことである、との告白があるのです。いかに偉大な教育学者の言葉であっても、それは参考とはなり得ても規範にはなり得ません。
主イエスが、律法の専門家とのやり取りの中で、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるのか」(ルカ10:26)と問う場面がありますが、聖書に記されている文言を繰り返し読んで正確に知ること、そして、今の時代状況や人々の中でどう読みとるか(いわゆる「歴史性」「隣人性」からの解釈)の作業こそ、教育の中心テーマとなるのです。
パウロは愛弟子テモテに対して、「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です」(Ⅱテモテ3:16)と勧めています。時代とともに変遷する教育論ではなく、聖書こそが人間教育の普遍的立脚点です。わたしたちの教会では、一年間365日を、毎主日ごとに語りだされる御言葉によって一人ひとりが養われ、神の像へと再創造されて続けて行きます。これは、終わりのない生涯教育です。しかも、世代を超えて継承され続けて行く養いなのです。実に、「聖書を読むこと」は教会の第一の業と言えるのです。
TK生