闇の中に伴われる神 (ヨハネによる福音書 3章1~16節)
ユダヤ最高議会を構成する議員の一人ニコデモは、自分の立場を気にしたためか「夜」という時を選んでイエスの許に訪ねてきました。彼は、尊敬の念を込めて「ラビ(先生)」と呼びかけ、「神のもとから来られた教師」と認識していることを告白しています。彼はイエスが起こしたカナの婚礼での「しるし」(水をぶどう酒に変えた奇跡/ヨハネ2:1~11)に驚嘆して、この認識に至ったようです(ヨハネ3章2節)。
夜の闇にまぎれてイエスのもとに来る!夜は自己の存在の不安を掻き立てます。たとえ最高の地位と名誉を得ていても、自分の存在の危うさを取り去ることは出来ないからです。主イエスは、彼の本心を見抜かれて、「はっきり(アーメン、アーメン)言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(同3節)と断言され、更に「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれた者は霊である。」(同6節)と言われました。
「肉」とは目に見えるこの世であり、自分の力で築いていく自己実現の世界です。しかし、如何に努力を重ねて名声を極めても、それで心を満たすことはできません。そこで、闇夜の訪問者ニコデモに対して、主イエスはこれと全く次元を異にする世界、「霊」について語り出します。「霊」(プネウマ)とは「息」「風」とも訳せる言葉で、手に取って見せることのできない世界です。しかし、実に、この「霊から生まれる」世界があると言うのです。「新たに」とは、「上から」「源初から」の意で、神の命、永遠の命の世界です。
イエスは夜の訪問者を拒絶されませんでした。正に、闇の中で彼に伴われたのです。この闇の中での問答は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(同16節)に結ばれています。神が愛された「世」は正に「闇の世」です。神は、この闇の世の真っただ中で十字架にかかり、無残な姿を晒す独り子イエスとして存在しています。今がいかに暗くても、神はあなたを捨てることはない。あなたに伴い新しい命へと導きだしていて下さるのです。実に「光は暗闇の中で輝いている」(同1:5)からです。
TK生