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ガザに下る道で (使徒言行録 8章26~40節)

使徒言行録が記す初期のキリスト教会の発展の様子には目を見張ります。信仰に導かれた人が「三千人」(使徒2:41)、「五千人」(同4:4)と増えて、十二使徒だけでは対応できず、信徒の中からも所謂「七人の奉仕者」(同6:5)が立てられ、「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」(同6:7)とある程です。まさに順風満帆というところです。

しかし、このままではユダヤ教国家は危機に瀕してしまうと見たユダヤ教当局からの反撃が、キリスト教徒迫害という形で襲ってきます。「七人」の筆頭のステファノは福音宣教のただ中で殉教してしまいます。この迫害を契機に、多くのキリスト者が地方都市へと散らされて行きます。その中の一人がフィリポでした。彼はエルサレムから50㎞程のサマリアに身を置きます。「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女もバプテスマを受けた。」(同8:12)とあるように、彼の伝道はサマリアでも大きな成果を上げていたようです。

ところが、神は多くの収穫が期待できるサマリアから、彼を人影もまばらな「ガザへ下る道」に行くように命じました。「そこは寂しい道」(同8:26)とあります。彼が導かれたところには、たった一人の異国人がいるのみです。大都市エルサレムから逃れ、サマリアの町に落ち着いたフィリポは、更にたった一人に伝道するという導きに従わなければならなかったのです。でも、彼はこれに従い「すぐに出かけ」、そこで出会ったエチオピアの高官に熱心に福音を伝え、バプテスマへと導いたのです。しかし、彼が神に従いこの道で導いたのは、この人の他にありませんでした。

伝道は私たちの都合で行うものではありません。100%神の導きに従う中で行われるものです。その対象者を選ぶのは私たちではなく神です。人数を増やすことに心を奪われてテクニックを駆使するならば、成果主義の誘惑に陥ります。私たちの伝道は、神が求めるところに身を置くこと。一人の人に寄り添い、イエスがキリストであると証しすることです。

                                                   TK生

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