どこに立ち、何をするのか? (創世記 1章26~31節)
- 金子敬
- 2015年10月31日
- 読了時間: 2分
昨年度から、古賀教会は「信仰告白、ミッションステートメント研究班」を立ち上げて、作業を続けてきました。そして、今年度末を目指してミッションステートメント(以下、MSと記します)を策定しようと進められています。MSは最近では企業などで良く用いられる用語で、自社がどこに立ち、何を為そうとするのかを社員だけでなく世間にアピールするものですが、元々はキリスト教宣教団体が用いた用語でありました。
もう20年以上も前になりますが、世界教会協議会(WCC)でMSを掲げたことがありますが、その時の言葉が「正義と平和と被造物の保全(Justice, Peace, and the Integrity of Creation)」というものでした。世界的視野でキリスト教会が立つべき自己認識と宣教課題がここに掲げられていて、私も心に熱いものを感じ、新たな視野が開かれたことでした。
新約聖書が伝えるメッセージは「愛」です。しかもイエス・キリストの死、十字架の死において現わされた愛です。パウロは「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」(ローマ4:25)と記し、十字架が私たちの罪への神の裁きであり、しかも身代わりの裁き(=贖罪)であることを明らかにしています。私たちは、ここに現わされた神の愛を信じて神との関係を回復されるのですが、同時に、今も伴われる復活のキリストにより、神の義に生きることが求められていると記しているのです。本物の愛は、心にしまいこむものではなく正義と平和に生きることへと向かいます。そして、更に全被造物との和解へとも向かうのです。ここに教会の立つべき使命が存在しています。
パウロは「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。」(ローマ8:19)と語り、全被造物が呻きの中にあることを伝えています。今こそ、神の愛に生きる神の子たちの出番なのです。「地を治めること」は神から人類に託された大いなる務め、ミッションです(創世記1:28)。自然破壊、放射能汚染、地球資源の奪取と枯渇・・・など、今人類が悔い改めなければならない局面で、教会の務めが問われているのです。
TK生
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