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「神の出来事にあずかる者」 ルカによる福音書 9章46~48節

  • 内田章二
  • 2015年11月13日
  • 読了時間: 2分

ルカ福音書4章13節から続くガリラヤ伝道の記事を見ると、使徒たちはイエスから直に「福音」を聞いてきたことがわかります。ところが、彼らの心の中は依然として「誰が一番偉いのか」と、いたってこの世的な価値観に支配されていたのです。

 おそらく彼らは、イエスとの関係においてどれほど多くの時間を捧げているかとか、あるいは自分がどれほどイエスの目にかなう存在かといったことが気になっていたのでしょう。

 そのような彼らに対して、イエスは一人の幼な子を立たせて「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである・・・あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である」‐48節より‐と言われたのです。

 福音書が書かれた時代の「子供」のイメージは、現代に生きる私たちとは少し違って、あまり大切にされていませんでした。イエスは世にあって「小さい者」とされている人々を象徴的に示すために「子供」を立たせられたのです。「わたしの名のために受け入れる・・・」とは、どのような者もイエスが十字架で流された血によって贖われたかけがえのない命として「分け隔てなく」受け入れるということです。

 神が一人一人の存在を喜んでくださることを忘れて、「才能」や努力して身につけたもの、いわば付加価値のほうに、つい目を奪われてしまう私たちの弱さが、命を軽んじる風潮や差別を生み出しているように思われてなりません。けれども、イエスはそのような弱さ、人間としての小ささを認め、悔い改めて主の前に進み出る者こそが「偉い(口語訳では『大きい』と翻訳)」と言われます。永遠のいのちを得たいとイエスのもとに来て尋ねたニコデモ‐ヨハネ3:1~21‐も、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」‐ルカ1:38より‐と祈ったイエスの母マリアも、みずから身を低くして神の国の出来事を体験したのです。

 この朝、私たちも「誰が一番偉いか」といった不毛の問いかけから解き放たれて、「最も尊い生き方とは何か」を選び取る歩みを始めようではありませんか。

                                          内田章二 協力牧師

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