共にクリスマスの喜びを (ヨハネの手紙一 4章7~12節)
- 金子敬
- 2015年12月18日
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1962年11月13日、21歳を目前にした秋、私は池袋の豊島公会堂で行われたキリスト教講演会に出席し、その場でクリスチャンになる決断をしました。ですからその年のクリスマスは私が信仰者として迎えた最初のクリスマスでした。それまで聖書も讃美歌も手にしたこともなかった学生が、それ以来毎日「嬉しくて」クリスマスの讃美歌を口ずさんでいたことを思い出します。音楽とは全く無縁の家庭に育った私でしたが、あたかも大昔から歌っていたかのように、讃美歌を、それこそ、昼も夜も口ずさみ、信仰による救いの喜びを噛みしめたクリスマスでした。
イエス・キリストの誕生、そのことで歴史がキリスト以前(Before Christ)と主イエスの年(Anno Domini)に分けられていることも驚きでした。そしてキリストの時の中に迎え入れられ、キリストと共に歩んでいること、自分の存在がしっかりとキリストに支えられていることに、大いなる平安をいただいたことでした。それまで「生きる意味が無い」と自分の人生を斜めに見ていた者が、神の御手の中に包まれていることを実感として受けとめ、この時以来、この喜びを一人でも多くの人と分かち合いたいとの願いが起こされ、大学においても直ぐに「聖書研究会」を立ち上げ、友人たちに手紙を記してイエスの存在を知らせることに多くの時間を用いたのでした。
この喜びは社会人になっても同じでした。独身寮では友人たちの協力を得て「聖書を読む集い」を起こし、同僚や上司、更に寮母さんも教会へとお誘いしました。人間として生まれ、もし、キリストを知らないまま人生を終わるとすれば、何とももったいない話です。すべての人に訪れているクリスマスの出来事にまだ気づいていない人がいるならば、一日でも早くこれに気付き、自分の人生を取り戻して頂きたいからです。神さまからの愛の贈り物は、例外なくすべての人に届けられているのですから。
喜びのクリスマス。救い主イエス様のお誕生を心からお祝いしましょう。そして、この喜び、神様からの愛のプレゼントを一人でも多くの人々にお知らせし、クリスマスを一緒にお祝いしようではありませんか。
TK生
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