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豊かな貧しさを選び取ろう (コリントの信徒への第二の手紙 8章1~9節)

  • 金子敬
  • 2016年1月22日
  • 読了時間: 2分

先日の新聞報道に、富の偏りについての驚くべき数字が記されていました。現在、世界人口は凡そ72億人ですが、その中の僅か85人の裕福な人の総資産が、最極貧から数えて36億人の保有する資産総計に等しいというのです。数年前の統計と比較してもこの格差傾向は世界的に顕著であって、日本もこの傾向の中にあると警告していました。

私たちは主イエスの「金持ちと貧乏人ラザロ」のお話しを知っています。そこには、豪邸で贅沢ざんまいの暮らしを享受した金持ちと、その家の門前で残飯をあさっていた乞食、その二人の死後のあり様が逆転したことを記しています(ルカ16:19~31)。どのように生きたかが、死後の裁きに関わると言うのです。確かに主イエスは言われています、「善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。」と(ヨハネ5:29)。主の警告を侮ってはなりません。今、あなたの手にある富を分け与えなさい、それが善です。それが愛です。

主イエスは語られています、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのもの」(ルカ6:20)、また「富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている」(同6:24)、と。「受けている」とは「既に受け取り済み」との意です。復活後の取り分は一切無い、との宣告です。しかし、神の国(教会)に生きている人々は主イエスが歩まれたように、即ち、他者のために貧しくなる選択が可能なのです。使徒パウロは、マケドニア地方の極貧の教会の中でこの愛に遭遇したのでした。即ちパウロは、「(彼らは)その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった」と証言しているのです(Ⅱコリント8:2)。

彼らの規範は主イエスご自身でした。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだった」との生き方です(同8:9)。この手紙を受け取るコリント教会は富裕都市にありました。然り、彼らに求められたことは善であり、愛であり、信仰による「豊かな貧しさ」の選び取りだったのです。

                                                   TK生

 
 
 

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