「愛をもって私の羊を飼いなさい」 ヨハネによる福音書21章15~19節
- 伊藤真嗣
- 2016年1月28日
- 読了時間: 2分
「キリストの愛」とは、イエス・キリストがその命を惜しまず捧げてくださったという、私たち人類に対する愛です。
ヨハネによる福音書21章15節以下を見ていきますと、イエス様はまずペトロに「わたしを愛するか」と問いかけます。これに応えるペトロのフィレオの愛は、いわば人間の愛です。
相手への見返りを期待する愛、受け取る愛です。一方、イエスさまが使われるアガぺーは与える愛です。ここで、イエス様はペテロにアガぺーという新しい愛の形、言葉を用いて、「私についてくるか」と聞いておられるのです。この2つの愛のすれ違いは、私たちに本当の「主の大きな愛と恵み」を示しています。それはこれまでの人間的な愛し方ではなく、すべてを捧げて、神さまを最も大切にして、私を愛せますかと問うているからです。「神への愛の告白」です。
イエス・キリストが復活の後、ペトロに3度「わたしを愛しているか」と尋ねられました。罪を犯したペトロであったにも拘わらず、イエス様は彼を愛し続け、立ち直った後の事をも心にかけて、「私の羊を飼いなさい」と、そして、最後に「わたしに従いなさい」とペトロに言われました。
信仰は「イエス様と私の関係」です。始めから最期まで、どこまでも私たちを愛し抜いて下さったイエス様に従うことです。このペトロのように、自分中心で弱い私たちですが、不十分だからこそ失敗をし、挫折をし、主の御心を何度も悲しませた者だからこそ、イエス様は主の羊を養い、世話することを委ねたのではないかと思います。
イエス様は十字架の大きな愛をもって、弱くて不十分な私たちを決して見捨てることはありません。私たちもどこまでも「私を愛するか?」「私の羊を飼いなさい」と問い続けておられる主に心から感謝し、その先にいる主の後に従って行きましょう。そして、主は「弱いものではなく、それを乗り越えて本当に強いものになりなさい」「共に支えるものになりなさい」と仰っていることを、心に留めましょう。
2016年、私たちは「教会」という、キリストを船頭とした船に乗って、船出したいと思います。
西南学院大学神学部3年 伊藤 真嗣
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