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この告白に立つ教会 (マタイによる福音書16章13~20節)

  • 金子敬
  • 2016年2月5日
  • 読了時間: 2分

ガリラヤ湖から北へ凡そ40㎞、ヘルモン山を仰ぐヨルダン川の源流にフィリポ・カイサリアがあります。私が訪れたのは若葉が萌え出る美しい季節で、九重や阿蘇高原を連想するような山ふところでした。ここは元々バニアスと呼ばれた村里で、農業や牧畜の神々を祀る牧歌的な聖地でした。しかし、ローマ皇帝から領地を賜ったヘロデ大王が忠誠の証しに皇帝礼拝の神殿を建立して「安全保障」を図り、主イエスの時代にその息子フィリポがこの地を統治すると、フィリポ・カイサリアと命名したのでした。

主イエスが弟子たちを伴い、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」(マタイ16:13)と問いかけたのは、この皇帝礼拝の場においてでした。ここでペトロたちは「あなたはメシア、生ける神の子です」(同16節)との信仰告白へと導かれたのです。しかし、このメシア告白は、「皇帝が主」(キュリオス・カイサル)と告白することで「安全」が保障されたローマ世界に対立する危険極まりない「主イエス」(キュリオス・イエス)告白であったのです。

今、私たちは、憲法で「信教思想の自由」が保障されています。ところが、戦前の「大日本帝国憲法」下でも、この「自由」は謳われていたのです。でもその内容は国家神道(「天皇教」)を受容する限りでの自由でした。要注意!です。現政権は、「飴と鞭」をもって教育界とマスメディアを巻き込み、天皇礼賛を語らせ、周辺国の脅威を必要以上に煽らせ、堂々と憲法9条の改正(悪)を掲げて、軍事産業拡張と「核」保持(原発はプルトニュウムの製造庫)の道を突き進もうとしています。今や戦前回帰の「富国強兵」国家です。

今、私たちの教会は、正にこの日本的「皇帝礼拝」のただ中で、「イエスは主なり」との告白を迫られているのです。しかし、だからこそ、2000年前と同様に、主ご自身がこの告白へと導いて下さると信じます。教会は昔も今も、この告白の上に立ち続けているのです。この時代においても私たちは、神の国の扉を開閉する鍵が託され、宣教の御業に引き出されていることを知るのです。先立ちたもう主イエスに導かれ、大胆に「イエスは主なり」と告白し続けるキリストの教会であり続けようではありませんか。

                                                     TK生

 
 
 

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