「愛の迫りの中で」 ルカによる福音書 19:1~10
- 内田章二
- 2016年2月12日
- 読了時間: 2分
今朝は、多くの人にとってなじみ深い「徴税人ザアカイ」の物語に耳を傾けます。
さて、ルカ福音書は全体を通して「失われた者の救い」をひとつの大きなテーマとしています。15章では「迷える小羊」、「なくした一枚の銀貨」それに「放蕩息子の帰還」という三つの物語をもって、失われた者が「あるべきところ」に帰ってくることこそが救いなのだ、と伝えています。
19章のザアカイの物語も同じです。イエスはやはり神のもとを離れてさまよっていたザアカイに目を留められ、救いの到来を宣言されたのです。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」-5節より-というイエスの語りかけに、「ひとりの魂」に対する深い愛の配慮と迫りを読み取ることができます。
ザアカイは、金持ちの屋敷の門に放置されていたラザロ(ルカ16:19以下)のように貧しく悲惨な状況にはありませんでした。けれども、この人もイエスの目には「失われた者」であり、ふたたび神の前に立つ恵みをなんとしても与えてあげたい存在だったのです。「この人もアブラハムの子なのだから」とイエスは言われます。この招きの言葉をもって、イエスは今日も失われた魂の救いのために働いておられるのです。
さて、イエスは先の言葉の前に「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言しておられます。「ザアカイに」ではなく、「この家に」とイエスは言われます。これは私たちにとって大きな励ましです。私たちは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」-使徒16:31-との御言葉を何度も聞きながら、それが現実感を持って迫ってこないという経験をしています。けれども、イエスは確かに救われた一人の人の存在、その生きざまが「家」に救いをもたらすのだ、と言っておられるのです。いいえ、何も特別なことはしなくても良いのです。自然体で信仰生活を送ること、そのことをイエスはひたすら求めておられます。そのために今日もあなたとの出会いを楽しみにしておられるイエスを心にお迎えしようではありませんか。
協力牧師 内田章二
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