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この最後の者にも (マタイによる福音書20章1~16節)

  • 金子敬
  • 2016年2月20日
  • 読了時間: 2分

ロシアの革命家レーニンは「働かざる者食うべからず」と言ったそうです。戦後の食糧の乏しい幼年期、「お手伝いをしたら食べていいよ」などと聞かされながら食卓に着いた経験のある私にとって、この言葉に良い印象はありません。やがて青年となり教会に通い始めると、この出典が聖書であると知るのですが、よく見るとパウロは「働かざる者は」でなく、「働きたくない者は、食べてはならない」(Ⅱテサロニケ3:10)と記していることに気付かされました。正に「目から鱗!」でした。

主イエスは、天の国の譬として、あるぶどう園の主人が収穫期に多くの労働者を雇う話をされました。夜明けとともに働く労働者に対しては、一日1デナリオン(今の価値で1万円ほど)を条件に雇用します。そして朝9時に、昼の12時に、午後2時にと、広場で雇われるのを待っている人々を「ふさわしい賃金」を条件に雇います。そして、ここが大切なのですが、主人が夕方の5時に見に行くと、まだそこに立っている人たちがいたのです。彼らは「だれも雇ってくれない」、即ち、労働力にならない人たちです。時は既に夕暮れ、彼らを雇ったとしても何も期待できません。それなのに主人は「ぶどう園に行きなさい」と声をかけ。自分の畑に招き入れたのです。

やがて日が暮れ、賃金支払いの時となりますと、主人は最後に招かれた人に、何と1デナリオンを与えたのです。お金を手に満面の笑みで家路につくこの人の姿が目に映ります。この様子に、早朝からの労働者は、「きっと多くの支払いがある」と期待したことでしょう。しかし、彼も1デナリオンだったのです。労働に対する対価が違う!不当に思える扱いです。

ぶどう園の主人とは神さまのことです。主人は働きの量に対する対価としてではなく、その人の必要に合わせた支払いをしたのです。彼は「働きたくない者」ではなく、「雇われなかった人」なのであり、「働けなくても一日の糧(1デナリオン)は必要な人」だったのです。然り、「この最後の者にも同じように支払ってやりたい」(同14節)との思いこそが、天の国の法則、憐れみの法則です。私たちはこの憐みに与っているのです。

                                                    TK生

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