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「神の国」に招かれて (マルコによる福音書 12章28~34節)

  • 金子敬
  • 2016年3月5日
  • 読了時間: 2分

マルコによる福音書のテーマは「神の国」と考えられています。なぜならマルコは、「神の子イエス・キリストの福音」(同1:1)の言葉から書き始め、「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ1:14~15)と記して、「神の国」の迫りに対する備え、即ち、自分勝手な歩みから方向転換をして(「悔い改め」(メタノイアの原意は方向転換)、「神の国」の招きに応えることを勧めているからです。

マルコはこの「神の国」への招きは旧約の時代から貫かれていたことであり、律法の真髄もここにある、と伝えようとしています。マルコ12章で、いわゆる律法学者が登場しますが、ここではイエスの対立者としてではなく、律法が福音へと結ばれていることを現わす立役者として登場しています。律法学者は誠実に主イエスに尋ねているように読み取れるからです。

彼の問いに対するイエスの言葉も誠意に溢れています。主イエスは当時の人々が大切にしていた「シェマ イスラエル(聞け、イスラエル)」と「十戒」の言葉(申命記5、6章)から語ります。即ち、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」との問いに答えて、「シェマ イスラエル」と「十戒」前半から、唯一なる神への最大級の「主告白」(主を愛すること)を語り、又、「十戒」後半から第二の掟として「隣人愛」を教えられたのです。(マルコ12:28~31)。

「神の国」とは死後に行く場所のような意味ではありません。神の支配の中にあること、言い換えるなら神との交わりが隣人との愛の交わりに結ばれている、そのようなイメージが「神の国」です。この律法学者は、主イエスと出会うことで律法の伝える真理に触れているのです。それ故、「あなたは神の国から遠くない」(同34節)との言葉に与ったのです。実に、主イエスは彼のためにも十字架にご自身を渡され、その愛を現わされようとされています。

「神の国」は神の子イエス・キリストを通して、信じるすべての人に開かれています。この良き知らせ(福音)を受けとめ、神と隣人との豊かな愛に結ばれた「神の国」に歩めるとは何と幸いなことでしょうか。

                                                     TK生

 
 
 

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