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「救い」をもたらす信仰 (マルコによる福音書5章25~34節)

  • 金子敬
  • 2016年7月22日
  • 読了時間: 2分

「あなたの信仰があなたを救った」(マルコ5:34)との主イエスのお言葉は、読む者の心を動かし、「わたしの信仰」との比較の中に新たな問いを投げかけます。「はたして、わたしの信仰はわたしを救うのだろうか」と。確かに、マルコ5:25以下に記される、12年間も身体的苦痛と社会的差別に苦み続けた女の切実な願いと比べると、私の求めは希薄であり、常識を超えない程度の求めにとどまっているように思われますし、この様な信仰では主イエスの力が流出する対象には値しないかもしれません。

女は群衆に紛れてイエスの後ろから近寄り、その服に触れます。すると、即座に出血は止まり、病が癒されたと知りました。病の癒しはあたかも彼女の熱心な信心の故であったかに見受けられます。唯一のチャンスを彼女は生かした。こういう信仰心にあやかりたい、との願いさえ起こされます。

しかし、主イエスが「ご自分の力が出て行った」ことに気づかれたとは、癒された後のことです。「わたしの服に触れたのはだれか」と問われ、辺りを見回されたのです。まだ、これで話は終わっていないと言わんばかりです。癒された女は即座にその場を立ち去ることも出来たかも知れません。しかし、イエスの眼差しを受けた女は恐れを感じ、身を震わせながらひれ伏し、自分の身に起こったことを、すべてをありのままに告白してしまうのです。

主イエスが「あなたの信仰があなたを救った」と言われたのは、彼女のこの告白の言葉を受けてからでありました。ここに「癒し」をもたらす彼女の信心から、「救い」をもたらす主イエスとの出会いへと誘われる、主イエスの導きがあります。確かに女の病は差別を生みだす社会構造の中で障壁になっています。この差別からの解放こそ救いと言えるかも知れません。しかし、主イエスが与える「救い」は、神の前にひれ伏し、自分の負の人生をも含めてすべてを告白し、受容されることを知る、全人的な救いのことなのです。

主イエスは「安心して行きなさい」(直訳では「平和〈シャローム〉の中へと進みなさい」)と、新たな世界へと押し出して下さいました。女は自分の信心の力ではなく、主イエスと共にある救いの道に歩み始めたのです。

                                 TK生

 
 
 

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