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「神の作品として」 エフェソの信徒への手紙2章1~10節

  • 伊藤真嗣
  • 2016年7月29日
  • 読了時間: 2分

エフェソの信徒への手紙」は「手紙の女王」と言われているほど、信仰的に、神学的に、文学的にも優れています。その中心テーマはキリストの体なる教会として、私たちが神の恵みを受けるにふさわしい生き方をすることを教えています。神さまに望まれる生き方とは何でしょうか。

パウロは言います。「行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり・・・」とあります(エフェソ2章9、10節)。口語訳ではわたしたちは「神の作品」だと訳されています。神さまは天地創造の業において、人間を造られました。これが最初の創造、「第一の創造」といわれるものです。

そして、ここで言う、「神に造られた」「神の作品」としての創造の業を、「第二の創造」ともいわれるものです。

キリストの復活の力によって、「死んでいた」わたしたちが「新しく創造された」者として生きることができる、これが、この「第二の創造」であるのです。「神に造られたもの」(新共同訳)、「神の作品」(口語訳)として生きていくのです。人間は、キリストの贖いと復活によって、根本的に造り変えられたのです。

そしてわたしたちが「神の作品」と言う時、いちばん強調されなければならないのは、「神の」という言葉です。それは「自分の作品」ではなく、「神さま」の作品なのです。

だから、自分の行いによって出来上がる作品ではない、自分が作り出した作品ではありません。キリストにあるわたしは、神が恵みによって造ってくださった「神の作品」以外、何ものでもないのです。ここには、神が備えられた善い行いに歩むことが、神の作品の目的なのだということを言っています。

本当の良い行い、善い業は、神さまの恵みに出会った時に起こるのです。神さまは目的をもってわたしたちを造り「神の作品」としてくださいました。わたしたちは、神さまがわたしたちを新しく造りかえてくださった、その目的をもっと深く知り、キリストの命によって、その目的に生きていく者となれますように、祈り求めていきたいと思うのです。   

西南学院大学神学部4年  伊藤 真嗣

(古賀バプテスト教会研修神学生)

 
 
 

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