「わたしの教会とは? (マタイによる福音書 16:13~20節)
- 金子敬
- 2016年9月2日
- 読了時間: 2分
「わたしの教会」というとき、それは何を意味しているでしょうか?「わたしの教会は古賀教会です」との答えが返ってくるようです。それも正解でしょう。そして、私の古賀教会への思いが湧きあがってきます。美しい外観、高い天井の会堂、賛美やメッセージ、礼拝や教会学校で出会う人々。「これが私の教会です」と言える教会があるのは幸せです。
ところで、ここで言う「わたしの教会」とは、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」(マタイ16:18)と言われる主イエスの教会のことです。私たちが建てる私有物ではなく、主イエスが建てる「キリストの教会」です。ここに、具体的な教会形成の課題が見えてきます。勿論、教会は心安らぐところ、楽しい交わりのあるところ、心に響く話を聞けるところ、等々、私たちの求める教会の姿があります。そこに集まる人々によって醸し出される佇まい、とでも言いましょうか、「・・・らしさ」があってこそ、世にある教会です。
しかしながら、ここで求められることは、古賀教会を私たちの力でより強くしていこう、などという「力み」があったのでは、「わたしが建てる」と言われるキリストの教会にはならないのです。いろいろと伝道方策を練るのも大切ですが、何よりもキリストに聴くというところから建てていただく必要があるのです。教会はキリストご自身が建ててくださるものだ、という点をしっかりと認識した上で、私たちの信仰の内実、すなわち、「この岩の上に」と言われる教会の信仰告白の実態へと心を傾注する必要があるのです。
ペトロの告白は「あなたはメシア、生ける神の子です」(同16:16)です。これは彼の知性から出たものではなく、100%父なる神から啓示されたもので、それ故に不動の岩なのです。キリストはペトロをはじめとする危うい弟子集団の中にあってご自身の教会を建てられます。それはそのまま今の世にある私たちの教会への約束でもあります。不完全な弱いわたしたちに、ご自身が「天上の鍵」(同16:19,18:18)を託し、この私たちの宣教の業を通して、主イエスご自身が御業を現わしてくださっているのです。
然り、私たち古賀教会はキリストの「わたしの教会」なのです。
TK生
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