逆風の中にあっても (イザヤ書40章27~31節)
- 金子敬
- 2016年9月16日
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我が家はマンションの8階にあります。ベランダからは広々とした玄界灘とそこに浮かぶ相島、玄界島、志賀島、目を転じれば立花山連山、東には福岡女学院看護大学や東医療センターなどが一望できます。海には行き交う船が、眼下には古賀市街地を南北に走る鹿児島本線の列車、目を上げれば飛行機も・・・、私はこのベランダからの眺望を楽しんでいますが、特に見事に一定間隔で飛来し、正確に離着陸態勢に入る航空機には感動を覚えます。自動誘導システムを開発した学生時代の友人の話では、地表に対して4度の角度で進入するのだそうです。東風の時は海側から、西風の時は空港の東に回って着陸します。
飛行機が安全に離着陸するためには追い風ではなく、向かい風に乗せて操縦するそうです。上空で安定した飛行に入ると偏西風に乗って東京方面に向かい、福岡に向かうときは偏西風を避けて飛行します。風の向きと強さの計測は安全飛行の上で、欠かせない作業だそうです。
イザヤ書40章はイスラエルが国を失って捕囚とされて70年後、国家再建という歴史の転換点での言葉が記されます。力を失った者たちが再び国造りに向かう場面です。苦しみぬいた人々に、「慰めよ、わたしの民を慰めよ」(イザヤ40:1)から始まり、天地を創造し歴史を支配される神への全幅の信頼を語りかけるのです。預言者は語ります、「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る」(同40:31)と。この大鷲は風に向かって大きく翼を広げて立ち向かいます。そうすることで、風に乗ってあっという間に空高く舞い上がることができるのです。
私たちの人生も、安定した追い風の日々ばかりではありません。むしろ逆風に悩まされることも多いでしょう。しかし、向かい風の中でこそ飛躍も可能なのです。「新しい力」とはこれまでとは異なる「刷新された力」の意だそうです。自分の力に頼る頑張りから、たとえ逆風の中にあっても全能の神に身をゆだねてみるのです。そうすれば、神が私たちを持ち運ばれている、という大いなる出来事を体験することになるのです。
TK生
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