「おひとり様でも」 (ルカによる福音書9章57~62節)
最近「おひとり様」という言葉が、よく使われているそうです。「おひとり様ランチ」「おひとり様ショッピング」「おひとり様映画」など多様な価値観が溢れる現在、個人の生活を大切にする傾向が強いように思えます。
私自身、自転車やジョギングなどの個人スポーツが大好きで、西南の近くの大濠公園などで、ひとりで走るのを日課としています。現代の若者は、一人で過ごすことが得意なようですが、一方それは現代の問題でもあります。
私の大学で、鬱病を抱えている友人がいます。彼は優しい性格で、友だちもたくさんいて活発ですが、いつも「大学に居場所がない」と言っています。
西南学院大学は創立100周年を迎えて、8千人の学生を抱えながら、現在さらにキャンパスの充実を進めて拡張工事をしています。
どんなに新しくて広いキャンパスでも大学生の中には「家族や友人の中にもどこにも居場所がない」「何か満足しなくて、サークルや勉強に身が入らない」と感じることが多いと聞きます。
「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」(ルカ6:31)つまり、これは「人と関わりなさい」という事です。
「傷つけたくない」「傷つきたくない」と、出来るだけ人に迷惑をかけないように、他者との関係を自分から避けていこうとする生き方ではないのです。
居場所とはギリシャ語で「トポス」と言いますが、それは場所という生活空間を示しているのでも、精神的やすらぎを得ることでもありません。どんなに上手く自分の世界を確保しようとしても、他者との関わりがなくては豊かなものとはならないのです。
「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(ルカ9:58)
イエス様ご自身が、居場所がなくて孤独に置かれながらも、更に十字架に向かっていかれたのです。
私たちはその十字架によって、救われ、自由とされました。孤独の極限を経験されたイエス様が共にいてくださる恵みを知る時のみ、
本当の居場所を見つけることができるのではないでしょうか。
西南学院大学神学部4年 伊藤 真嗣
(古賀バプテスト教会研修神学生)