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助けを求める叫び (使徒言行録16章6~10節)

  • 金子敬
  • 2016年11月19日
  • 読了時間: 2分

パウロの第二次世界宣教の旅は小アジア地方では思うように進展しませんでした(使徒16:6~)。

聖書はこのことを「聖霊から禁じられた」「イエスの霊が許さなかった」と記しています。

行く手において宣教を阻止する何かがあったからとも、パウロ自身の健康がその風土に合わなかったからとも推察されますが、そのようなマイナス状況を、神には別の導きがあったからだとプラス思考で受けとめているようです。

アジア西端、トロアスまで来たとき、彼は「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と懇願するマケドニア人の幻を見ました。

パウロはこれを神の導きと受けとめて伝道を共にする仲間に伝えました。

すると彼らはパウロの見た幻を自分たちが共有すべき幻として受けとめてマケドニアに渡ることに賛同しました。その理由づけを聖書は、「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」(同10節)と記します。

ここで「確信するに至る」と訳されたシュムビバゾーは「固く結び合わせる、綿密に調べて結論づける」(ギリシャ語小辞典/織田昭)の意味で、この幻に対する各々の思いを持ち寄り、慎重に合意形成を行ったと理解できます。

即ち、ここから始まるヨーロッパ伝道はパウロ一人に示された召命というよりも、一同が良く吟味して得た結果だったのです。

使徒言行録で、この場面から「わたしたち」という主語がしばしば用いられるのですが、恐らく著者ルカもこの同意に加わったのでしょう。「あの偉大なパウロ先生に示されたことだから・・・」と鵜呑みにするのでなく、一人一人が自分の信仰的決断としてマケドニア伝道を開始した、と主張しているのです。

こうして、「助けてください」との叫びを、何よりも霊的な欠乏への訴えと受けとめ、これに応える行動は主イエス・キリストによる救い、即ち、十字架と復活において現わされた福音を届けるより他にない、と結論づけたのです。今、世界の人々の「助けてください」との叫びをどのように聴き取るのか、これは正に私たちの教会への問いかけでもありましょう。 

                                  TK生

 
 
 

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