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留まるもの (ルカによる福音書 19章1~10節)

  • 内山賢治
  • 2016年12月10日
  • 読了時間: 2分

マリアが「イエスがおられたら」ラザロは死ななかったのにと言います。

イエスはマリアたちの涙を見て憤られ興奮もしました。著者ヨハネは「心に」覚えられたことを2度も記しています。

これまでに語ってきた言葉をこの人たちもマリアの家族さえも理解はしていなかったという喪失感でしょうか。「こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか」(ヨハネ14:9)と弟子に苛立ちを覚えています。

ラザロの死に直面した家族はイエスから伺っていた「復活」を復活物語として片隅に追いやっていたのです。

ラザロの復活(ヨハネ11章)の出来事です。イエスは死の先に復活があると説いていたのです。 日常生活の中で信じていても身内の死に直面した時はイエスの言葉は心に届かなかったのです。

イエスの言葉を信じていなかったことに「心に憤りを覚えて」となったことでしょう。

聖書のみ言葉は死と復活を通じてイエスの名を「信じ」て従え、生きよと展開をしています。

「イエスの名」「イエスの言葉」を信じることで、人は安らぎ、平安があることを宣べ伝えています。ザアカイ物語(ルカ19章)はエリコの人にも罪人として憎まれ社会的差別を日常的に受けていたザアカイにもイエスは自身の言葉を届けようとしています。

イエスが全ての人の中におられることを読み取ることができます。ルカ2章にはイエスの誕生前後のユダヤ地方の日常が描かれています。

課税目的で皇帝は人口調査を命じた為、人々は生まれ故郷で登録をするため帰郷し、特にベツレヘムは一時的に人口密度も高くなり宿屋も満室状態の様子がうかがえます。

泊まる場所がない所での出産でした。20㌔弱離れたエリコで若かったザアカイにも徴税人の一仕事があったかもしれません。

30年後、イエスは住民から疎んじられていた徴税人の「家に留まらねばならない」と自ら宿をとりました。私たちにとっては超日常の出来事ですが、イエスの言葉が彼の内に留まり彼は回心したのです。私も「この人も」(ルカ19:9)です。

イエスにとっては出自を含めて神の出来事が根源にあるのです。

                          古賀教会執事 内山賢次

 
 
 

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