優しさに溢れた平和な年を (エレミヤ29:4~14)
- 金子敬
- 2016年12月30日
- 読了時間: 2分
明けましておめでとうございます。
上記の表題は、皆さまのご多幸を祈るクリスマスと新年のカードにも添えて記した言葉です。
昨年の「一文字漢字」が「金」と報道されたとき皆さまは何を思われたでしょうか。
オリンピックでの金メダルやピコ太郎の金色衣装など、なるほど金色は誰の目にも眩しく、豊かさの象徴でもあります。しかしこの眩しさが曲者です。わたしの目に、この「金」は「虚」と映りました。
「金」に象徴される豊かさの中には、軍事経済力を背景とした強い国家建設への目論見が見て取れます。
ある大学研究室の基礎研究費への国庫補助が文科省から20万円であったものを、防衛省が200万円付けて介入してきた、との報道がありましたが、国民の税金が何に用いられるのかを象徴する数字です。
「金」の眩しさに目がくらみ、良心を捨てる研究者が出ないことを望むばかりです。
新幹線は便利です。増設すれば旅も広がります。電気使用量も増加し、電力供給を不足させないために原発が必要となります。原発(核発電)は制御しがたい悪ですが、核兵器の必要を説く(神社本庁に連なる)「日本会議」所属議員が内閣の80%を占める現状ではどうにもなりません。彼らが最高裁判事の任命権も持っているのです。
パウロは、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される。・・・わたしは弱い時にこそ強いからです。」(Ⅱコリント12:9~10)と語ります。
一番低いところに身を置かれた神は、その貧しさ、弱さのただ中で平和とは何かを現わされました。
強さの中に真の希望はありません。互いの強さを想いやる人はないでしょう。
お互いの弱さを想いやる、そこに優しさがあるのです。わたしは弱い人を犠牲にして成り立つ強さではなく、弱さの中に身を置いて、優しさに溢れる平和を求めます。
「金」の眩しさに隠されている、その奥に閉じ込められた世界を露わにし、そこに身を置かれる神と共に、真の歴史を担う者とされることを望みます。
イスラエルの民が神の計画、即ち、希望と将来の約束を知らされたのは、正に捕囚の地に身を置いた時でした。この弱さの中に置かれたからこそ、神の歴史支配に与ることができたのです。
TK生
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