主イエスの恵みを知る者 (コリントの信徒への手紙二 8章 1~9節)
- 金子敬
- 2017年1月20日
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コリントの信徒への手紙二は幾つかの独立した書簡を一つに集めたものであると言われています。
成程、8~9章はエルサレム教会の窮乏に対する「慈善の業」を勧める手紙として読み取れます。パウロは貧しいマケドニアの諸教会が行っているこの「慈善の業」に注目し、はるかに豊かなコリントの教会に対して、この「慈善の業」に加わるようにと勧めるのです。
初代教会時代において認められる “協力伝道”の働きです。
バプテスト教会は個々の教会が自立した教会であり、教会間に支配・従属の関係はありません。しかし、それは自分の教会だけが安泰であればよいとする孤立主義とは異なります。
バプテスト教会の「自立」は、教会間の「協力」に開かれる中で、更に「世界」に繋がる交わりにおいて力を発揮するのです。
こうして、「自立と協力」がバプテストの合言葉となるのです。
さて、Ⅱコリント8章4節と7節に記されている「慈善の業」とはギリシャ語で「カリス(=恵み)」という一語であり、9節では同じカリスが「(主イエス・キリストの)恵み」と訳されています。
そこでは、「あなたがたは、主イエスの恵み(カリス)を知っています。」とした上で、「すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」と語られています。
ここに私たちが「受けるよりは与えるが幸い」(使徒20:35)と言われた主イエスの言葉の神髄を知らされるのです。
「恵み」とは与えることで体験する世界です。マケドニアの諸教会は貧しさの中にあって、この「恵み」に与っていました。
それ故に、「彼らは力に応じて、私は証言しますが、力以上に自ら進んで、恵み(カリス)、即ち、奉仕(ディアコニア)への参加(コイノニア)をしきりに願い出た」(3~5節/原文に沿って)、と力説しているのです。
確かに、外部への協力(慈善の業)は、「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、心に決めた通りに」(Ⅱコリント9:7)と、無理をせず可能な範囲で関わるものでありましょう。しかし、だからこそ、「あなたは主イエスの恵みを知っているのか」と問われるところでもあるのです。
TK生
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