神の同労者 (コリントの信徒への手紙一 3章1~9節)
- 金子敬
- 2017年2月17日
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日本バプテスト女性連合のホームページを開くと、そこに標語として「私たちは神の同労者」(Ⅰコリント3:9口語訳)と記されています。
この標語はそのままに、私たちの教会にも当てはまります。パウロがこの手紙を記した背景には、コリント教会が指導者交代に伴う混乱を生じていたことがあったようです。時々、「初代教会に帰ろう」というキャッチフレーズで、聖霊の導きと称して「何でもあり」(言いかえれば「無秩序」)の聖霊運動が入り込む危険性があります。
お隣、韓国ではしばしばキリスト教界にこの所謂「異端」と称される教えが入り込み多くの教会がその被害に遭っているとのこと、その影響は日本の諸教会にも及んでいます。それは熱心さや忠実さを装っていますから、要注意です。
パウロはヨーロッパ伝道を開始する中で芸術文化の中心地であるアテネでの福音宣教を試みましたが、失敗に終わりました。
彼は失意の中にコリントに向かいます。そこでアキラとプリスキラという夫婦との出会い(使徒18:2)があり、協力して福音宣教に努めた結果、教会を形成することに成功しました。
しかし、その教会も指導者交代を機に混乱に陥ります。性的モラルの低さ、呪術的信仰とも言える聖霊理解など、目に余る状況でした。
新約聖書という規範を持たない時代にあっては、教会も指導者の導きようで左に右に動かされたのでありましょう。パウロはこの教会に対して手紙を書き送り、自分好みの指導者に繋がるのではなく、イエス・キリストにおいてご自身を現わされた神に結ばれて一つとなることを説くのです。
今、私たちの教会も、新たに牧師を迎えようとする中で、「私はパウロに」「私はアポロに」と惑わされる危険性があります。
しかし、私たちは「神のために力を合わせて働く者」即ち「神の同労者」です。そして、「時」に適って新たな導き手を立てられるのは神ご自身です。
成長させてくださる神さまに信頼し、共に力を合わせることが求められています。今、この牧師交代という「神の時」の中で教会の歴史を紡げるのは、何という驚くべき恵みでしょう。実に私たちは神の同労者であると知るのです。
TK生
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