この御言葉で立つ (箴言 3章1~12節)
- 金子敬
- 2017年2月24日
- 読了時間: 2分
ある人との出会い、ある書物との出合い、それらがその人を捉えその人生まで大きく変えてしまうということがあります。
もし、この書物と出合っていなかったら、今の私の人生も無かった、それが、聖書との出合いです。2000年の歴史を経て聖書は何千もの言語に翻訳されて何億もの人々に届けられて来たという事実を通しても、この書物が自分の隣人にも是が非でも読ませたくなる書物であったことが判ります。
聖書は“The Book”と呼ばれるように書物の中の書物です。私たちは今の時代に生きていることでこの“The Book”を手にしているのです!何という幸いでしょうか・・・。
聖書は世界中のベストセラーでありますが、この日本でも毎年ベストセラーです。
一番多く販売される書物です。しかし、購入者が手許に持っていたとしても読まれていないのも事実です。
今日礼拝で読まれるところは「箴言」です。「格言集」と言うような意味なのですが、「箴」とは良く言い表したもので、つぼをさす竹針、と言うところでしょうか。
この箴言から“座右の銘”を選ぶ人も多いでしょう。私の知る女性は、「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5~6/口語訳)の聖言に出合い、この御言葉に立って、ネパール・アナンダバンのレプロシーミッション(ハンセン病医療センター)の医療従事者として青春期を捧げました。
自分が牧会する教会員のこの決断に、私は改めてこの御言葉の前に立ち尽くさせられました。
私たちは、聖書をどのように読んでいるのでしょうか。教養の書でしょうか。
それとも人生を導く羅針盤でしょうか。
日々聖書を手にしながら、「この御言葉で立つ」と言い得る聖書の言葉との出合いを体験しているでしょうか。
慰めと安らぎのための御言葉だけでなく、魂の底から奮い立たせる御言葉との出合いを求めようではありませんか。
その言葉は日々に開く聖書の中に既にあるのかもしれません。
生ける主に信頼し、導きを求め、真剣に御言葉に向かい合おうではありませんか。
TK生
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