神の言葉から
- 泉清隆
- 2017年4月9日
- 読了時間: 2分
昨年、ラジオの世界で大御所であられる方がお亡くなりになりました。永六輔という方です。永六輔さんはテレビにも出演なさるんですけど、何といっても、ラジオ人なのです。もうこのテレビは、視覚から入ってきますので頭を働かせなくても見ることが出来るのですが、ラジオの場合は耳を澄ませて言葉の意味を考えないと残らないのです。
ある時永六輔さんがタクシーで移動中に、NHKのラジオが流れていたそうです。その時にアナウンサーが一人のおばあちゃんにインタビューしているのです。このおばあちゃん、実はつい最近ご主人を亡くされた方でした。アナウンサーが質問しました「どういうときに亡くされたご主人のこと思い出されますか?」しばらく考え込んだおばあちゃんが一言、「背中がかゆい時」って言ったんです。今まで背中がかゆかったら自分の手で届かない、それをご主人がかいてくれた、今はかゆくてもかいてくれる人がいない、ああ、いないのかと、ふと後ろを振り返ってみたら誰もいない。
永六輔さんはそのインタビュー番組を聞いたとき、タクシーの中で号泣したそうです。言葉だけなのですが、この仲睦まじい夫婦の風景が、わあーっと出てきたというのです。それで、彼はこういうふうに言っているのです。「言葉って不思議だな。見たことも会ったこともない人のことを、言葉一つで私たちはイメージすることができるんだから。ああ、言葉って大切だし不思議だな」という、そういうエッセイが残っています。
聖書は神の言葉が書かれています。その言葉を読む時、私たちの中に神の私たちに対する思いが浮かんでまいります。今日も聖書から神の言葉を頂きましょう。来週はイエス・キリストが十字架の死より甦られたイースター(復活祭)です。
コメント