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聖書の勧め

  • 泉清隆
  • 2017年5月21日
  • 読了時間: 2分

一頃幕末から明治維新にかけての物語が注目されていました。日本の開国はペリーの黒船事件からはじまりますが、あの黒船事件から6年後、ヘップバーンという宣教師がアメリカからやってきました。当時の日本人はヘップバーンという発音が難しいので、ヘボンと呼びました。やがて彼は和英辞典を作ります。その時に使われたローマ字がヘボン式ローマ字と言われるものです。そしてヘボン夫人の開いた英語塾が、後のミッションスクール明治学院大学やフェリス女学院になって行きます。

 ヘボンさんは、眼医者さんでした。日本に着くと早速診療所を開業しながら、伝道しました。ある時、上海から消毒用に使う貴重なメチルアルコールが届いたのです。彼は日本人の使用人たちに注意を与えました。「いいですか。これは絶対に飲んではいけません。飲めば命取りになりますから。」そういうと使用人たちに小瓶に詰め替えさせていたんですね。ところが使用人たちは、作業中にその臭いを嗅いでこう思ったんです。「これは西洋の焼酎に違いない。これを飲まぬ手はないぞ」と。

 その晩のことです。彼らは昼間嗅いだ西洋焼酎を飲むために示し合わせてやって来ました。そして、ほんの一杯だけと言いつつ、ぐいっと飲み始めたのです。どうなったでしょう。全員、意識不明の重体です。たまたま夜中に夫がいなくなったのをいぶかった妻の一人が、この有様を発見し、悲鳴を上げ、大騒ぎになりました。ヘボン夫妻は現場に駆けつけ、必死の看病の末、朝までに全員が一命を取り留めたのです。

 使用人たちは、主人の注意を無視し、盗みを働き、その上治療の面倒まで見てもらったので、もうことばもありません。てっきり首になると思ってたのです。しかし、ヘボンはとがめず、一言こう言ったんです。私はアルコールが惜しくて飲むなと注意したのではありません。あなた方の命が大切だから、注意を出しておいたのですよ。

 人は誰かに何かを禁止されると、不自由さを感じたり、束縛を感じたり、悪意を受け取ったりする事があります。それは聖書に対しても同じです。聖書の中には人間に対する警告や注意で満ちているからです。しかし、聖書の中で人にしてはならないと注意がある理由ははっきりしています。それをすると人が不幸になるからです。聖書は人間の幸せを願って語られた神のことばなのです。もし人が幸せになりたいなら、聖書が勧めることを受け入れ、禁じることをしないことです。それは難しいですか。でも愛を受ければ、できるようになるのです。

 
 
 

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