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立ち位置

  • 内山賢治
  • 2017年7月30日
  • 読了時間: 2分

6月19日の京都は30度を越えていた。京都駅から1㌔のところにあ る東寺を訪ねた。一通りを廻り終え売店で喉を潤し北大門に近づくと手水舎が あった。手水舎から二人の青年の感嘆の声が聞こえてきた。「ヤッホーここに 丁度いい水たまりがあるわ。これは涼しい」と翻訳できたかもしれない。手水 舎の水槽から両手で掬った水を頭に掛け続けている青年がいた。僕が近づいて も一向に動作をやめる気配はない。ついには頭を丸ごと浸けた。「無礼、何と いう不届き」と心が叫んだ。「Oh,NO,only hands」精一杯の忠告であった。向き 合った青年は水の滴りを払い「Sorry sorry」と二度繰り返した。北大門を通り 過ぎ「も―ォ、アジア系は何も分っていない。お寺のマナーも知らない。初め てだよ、手水の中に頭を突っ込む姿なんて。」「いいじゃないですか、この暑さ であの方は暑かったのよ」☆「日本に暮らす外国人は238万人。人種や民族、 国籍の違いが理由で、当然の権利が阻まれているとすれば、外国人と共に暮ら す社会は成り立たない。なぜ憲法や条約の理念が生かされないのか(朝日新聞 7月17日社説)。」マナーが悪いという“誤解”が心に垣根を作っていたのだ ろうか。「暑かったのよ」。そこにいい塩梅に水槽を見つけた。初めての京都の 暑さに慣れずに涼が欲しかった。頭がくらくらしていたのかもしれない。相手 の立ち位置に立てということか。☆イエスはユダヤの律法の精神を日常生活の 只中で生かそうとされた。マルコ12章は「乞食同然のやもめ」(岩波訳)の 貧者の一灯物語ではない。身寄りのない寡婦を大事にし保護することはイスラ エルの民の使命であった(「イエスの現場」滝沢武人)という。イエスはこの やもめの立場に身を転換された。数量ではない。律法の理念を生活の場で活か せと弟子に身をもって伝えたのだろう。イエスの行動により律法の精神の実践 が過激に映ることもあったが、律法解釈が第一義となって神との契約である律 法が律法の呪縛に陥ってしまった律法学者への警鐘であった。疑念を抱きなが らもその教えに従う「マナー」から「必須事項」とされたユダヤ社会であった。 イエスは塊{こんな人たち}ではなく人間を人間としてみなさい。そこには階 層も性別も強者も弱者も突き抜けた人間の存在がある。「個人」として人間は 神の眼差しのもとに存在していると言う。(内山賢次)

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