「命がけの執り成し」
- 泉清隆
- 2017年8月2日
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万葉集の研究者で、犬養廉という学者がいました。彼は東大の国文科の学生 の時、学徒動員で旧満州西部に送られ、小隊長として敗戦を迎えました。19 45年の夏、敗戦の時のことです。ソ連は日本との条約を一方的に破って、旧 満州に攻め込ん来ました。無敵を誇っていた関東軍はちりじりばらばら。なん と、軍の上層部だけが敗戦の数日前に全部隊を現地に残して、飛行機に内地に 逃げ帰ったのです。残された部隊は、命令系統がめちゃくちゃです。犬養小隊 長は部下を指揮して、その地方の在留日本人を一か所に集めました。そして夜 はたき火を焚いて、現地の人々からの暴行、略奪から邦人を守ったのです。や がて苦心の末、トラック十数台を用意し、数百人の日本人を大連まで送ること にしたのです。事前に情報が一切漏れないように、極秘のうちに計画し、そし て真夜中に出発しようとしたその時、なんと、町の門の外に何万人という現地 人が、手に手にかまを持って、今にも襲いかかろうとしていたのです。どうい うわけか情報が漏れていたのです。こっちは武器がほとんどなく、ただただ行 き詰るにらみ合いが続いたのです。 ところが突然、誰かが「門を開けろ!」と大声で叫んだのです。それは帰国 を断って、ここに残ると言った、たった一組の日本人夫婦、鈴木さんでした。 彼らは、旧満州にキリストの福音を伝えるためにやって来た日本人宣教師だっ たのです。彼らは毎日毎日、現地の人々を一軒一軒訪ね歩いて、キリストを宣 べ伝えていたのです その鈴木さんが殺気立ってる数万人の人々をかき分けて 。 、 町の門の上によじ登ったのです。そして大声で「門を開けろ!」するとどうで しょう。人々は彼の声に従い、門を開け、道を譲っていったのです。日本人に 反発していた人々でしたが、鈴木さんにはどうにも手が出なかったのです。こ の二人の老夫妻を心から尊敬していたからです。やがてトラックは次々に門を 出て行きました。犬養小隊長は、銃から手を離して敬礼しました。するとよれ よれの服のまま、門のてっぺんでちぎれんばかりに手を振っている、クリスチ ャンの老夫婦の姿が見えたというのです。彼らは、命の恩人です。興奮状態の 群衆が鈴木さんのことばに従ったのは、日ごろから彼らを敬愛していたからだ けではなく、現地に踏みとどまって、骨を埋めるという覚悟を見たからです。 この鈴木さん夫妻の本気が、怒り猛る大群を押し止めたのです。
聖書と福音 http://biblegospel.org/zen2/z716.html より
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