top of page

平和への道

  • 泉清隆
  • 2017年10月8日
  • 読了時間: 3分

第二次世界大戦中、日本で唯一激しい地上戦の舞台となった沖縄では、日本 軍司令官・牛島満中尉が自決した6月23日が「沖縄終結の日」になっていま すが、それに先立つ1945年4月1日には、米軍上陸で追いつめられていた 島民の集団自決が相次いだのです。7ヶ所で約1000人の人たちが命を落と したと言われています。沖縄中部の読谷村のチビチリガマ(ガマ…洞窟)では 4月2日に避難していた141名中83名が集団自決してその約8割が子ども であったという事です。私は数年前沖縄に行った時、そのチビチリガマに行っ て来ました。 集団自決は、「敵の捕虜になるよりは死ね」という日本の誤った皇軍教育が あったからです。対照的に、1㎞離れたシムクガマにいた住民は、ハワイ帰り の男性二人が米軍と交渉して、全員無事に救出されました。 今から19年前の1998年4月29日に東京で開かれた「53年目の証言 …沖縄チビチリガマで何があったのか」の証言集会で、証言に立ったハワイ在 住の牧師である上原進助さんは、悲惨な集団自決の舞台となったチビチリガマ の生存者でした。当時12歳だった上原さんは家族と共に洞窟に身を潜めてい ました。投降を呼びかけた米軍に対して竹槍で向かっていった住民が瀕死の状 態で戻ってきました。ある者は洞窟の入り口で布団に火をつけたりして、洞窟 の中の人たちの緊張は最高潮に達していた中、上半身裸で半ズボンの米兵が武 器を持たず洞窟の中に入ってきて、殺気だった洞窟の中を「殺さない」と書い た文字を懐中電灯で照らしながら、ひと回りして出て行ったのです。洞窟の中 の日本兵は投降を絶対に許さず、住民の中には米国・英国に対して恐れがあっ たのですが、上原さん一家はその言葉を信じて外に出たのです。そしてその後 にあの悲惨な集団自決が起きたのです。 自分が殺されるかも知れない状況の中で、「どうしてこの人はこんな事が出 来るのだろうか」とあの米兵の行動を不思議に感じながらも、「この人はきっ と従軍牧師に違いない」と思ったそうです。住民を救おうとするものを感じた と言うことです。上原さんはクリスチャン3代目でしたが、戦後はバスの整備 士、貿易業務を経て、神学校に進み、牧師になりました。あのときの米兵が本 当にクリスチャンであったかどうかは分からないのですが、自分が牧師の道に 導かれるのにあの勇気ある行動が大きく影響していると語っています。上原さ んが一命をとりとめたのは、一人の人の体を張った命がけの愛の行動でした。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた。」という言葉は真実 であり、そのまま受け入れるに値します。(Ⅰテモテへの手紙1:15)

わたしが今、生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられ た神の子に対する信仰によるものです。(ガラテヤ信徒への手紙2:20)

 
 
 

Comments


Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
 古賀バプテスト教会

811-3111

古賀市花見南2丁目27-45

​Telephone / Fax : ​092-942-2614

              

HP:URL   http://kogabaptist.wix.com/kogabaptist  


HP内聖書:日本聖書協会 新共同訳使用 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation/(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

お問い合わせ

送信ありがとうございました

bottom of page