top of page

「死に方上手」

  • 内山賢次
  • 2018年4月13日
  • 読了時間: 3分

「人間は人間同士、地球を包んでしまうような網目 を作り上げたとはいえ、そのつながりは、まだまだ 本当に人間らしい関係になっているとはいえない。 だから、これほど進歩しながら、人間同士の争いが、 未だに絶えないんだ」「人間が人間同士、お互いに好 意をつくし、それを喜びとしていることほど美しい ことは、ほかにありはしない。そして、それが本当 の人間らしい人間関係だ」と世界の仕組みをコペル 君に丁寧に語り、加えて人間の条理として曲げては ならないものがあることを「君たちはどう生きるか」 (吉野源三郎)はコペル君の叔父さんの一冊のノート を通じて発信します。今から80年前の作品です。 ◇「難しいことを易しく、易しいことを深く、深い ことを愉快に」という井上ひさしの言葉がぴたりと 当てはまる一文一文でした。著者は、角張る言葉で もなく、高みからの投げかけでもなく人間の「いの ち」、生きる意味を読者に問うています。久しぶりに 会えた恩師のようです。「肝心なことは世間の目より も何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこに あるかそれを本当に君の魂で知ることだ」。◇生命・ 心臓の鼓動は感じることができますが、いのち・魂 は人間が見ることができないものです。幸いにも死 では終わらない、かけがえのない「いのち」の存在 を信じる能力を人間は持っています。キリスト者で 医師の日野原重明さんは「生き方上手」を出版後の 講演で、本当の題は「死に方上手」であったと語り ました。◇長寿社会の現在、医療現場は「良い死」 にむけて誘導しています。人間のいのちとは何なの か、そしてどう「死」ときちんと向き合うべきか「生 き方・死に方上手」は聖書の言葉に内在しています。 ◇母を1年前に見送りましたが未だに心に引っ掛かり があります。病室を出る時母は初めて「さようなら」 と私を見送りあれっと思い一旦帰宅しました。その 直後、病院からの連絡で急いで戻りましたが臨終に は間に合わず、あの時もう少し母の病室にいればと 自身を責めていました。◇「生命」の死が最後では ありません。「さようなら」と言われたお母様の言葉 によって娘であるあなたと「生命」から「いのち」 へと繋がった。生命の終わりは終わりですが「さよ うなら」の言葉(ヘブライ語ではシャロームと言い日 常の挨拶です)とその表情に母娘の心の交流があった のではないかと泉牧師は苦渋の彼女に語りました。 ◇「人間を立ち上がらせる力をお持ちのお方がいま す。彼は活き活きと人を活かす力をお持ちです。身 も心も彼に委ねる者はたとえ死んでも生きる」この イエスの宣言を信じるのがキリスト教の信仰です。 イエスの十字架上の苦しみが自分の苦しみと繋がり、 十字架上のイエスが私の苦しみを今も引き受け続け ておられることにハッとする神さまの働きを祈りま す。内山賢次(伝道担当執事)

 
 
 

Comments


Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
Follow Us
 古賀バプテスト教会

811-3111

古賀市花見南2丁目27-45

​Telephone / Fax : ​092-942-2614

              

HP:URL   http://kogabaptist.wix.com/kogabaptist  


HP内聖書:日本聖書協会 新共同訳使用 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation/(c)日本聖書協会 Japan Bible Society, Tokyo 1987,1988

お問い合わせ

送信ありがとうございました

bottom of page