キリストの香り
- 泉清隆
- 2018年4月19日
- 読了時間: 2分
岩手県に斎藤宗二郎と言う人がいましたが、この人 は内村鑑三の門下生でした。そして彼は最初は根か らの国粋主義者でした。しかしその彼がクリスチャ ンになる時に、多くの人たちが見に来ました。それ は、彼が私はこれからクリスチャンになります。川 でバプテスマ式がありますと言ってビラを配ってい たからです。それから、彼は路傍で伝道を始めまし た。イエス・キリストの弟子の故に迫害がありまし た。中傷や嫌がらせがありました。小学校の教師を していましたのですが、自分の娘が「おまえの親父 はヤソだ」と言われて、腹を蹴られて、死んでしま った。そのことでは大変打ちのめされたと言うこと です。宗二郎はこればかりは大変な悲しみの中に突 き落とされたのです。内村鑑三は彼に慰めの手紙を 書いています。内村鑑三も自分の愛する娘を亡くし ています。結局、宗二郎は小学校の教師を続けるこ とが出来なくなって、新聞配達をするようになりま した。朝3時から新聞配達をして、終わると、子ど もたちをおぶって学校にその後、人々を病院に訪問 して、慰めました。そして、夜の9時から12時ま では聖書の学びと祈りの時であったということです。 3時間しか寝ていないのに、結核持ちだったのに癒 されて、その生活をする事が出来ました。そして彼 が岩手県を去るときには多くの人たちが見送りにき てくれました。病院で見舞いを受けた人々、町長を 始め様々な人たちが集まっていました。そして、多 くの人たちに見送られながら、その中に宮沢賢治が いました。宮沢賢治は早速、斎藤宗二郎に手紙を書 きました。それが有名な、「雨にも負けず、風にも負 けず」であります。 宮沢賢治は斉藤宗次郎の生き方に深い共感を覚えた ようです。たとえ迫害されても決して怒ることをせ ず、自分の利益を追求せず、神の言葉に従って生き ていた人でした。宗次郎は、祈りつつ聖書を読み、 祈り、交わりから、その結果、その人を通してキリ ストの香りが言動を伴ってあらわれたのでしょう。
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