声を上げる
- 泉清隆
- 2018年4月29日
- 読了時間: 2分
「彼らはイエスを捕らえ、引いて行って、大祭司の 家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行っ た。」ルカによる福音書22:54 いじめられた経験のある人の話を聞くと、少なく とも二重に傷つけられていることが分かります。ひ とつは誰にも明らかなことで、実際にいじめている 人の意地悪さに傷つきます。それ自体、ひどいこと です。しかし、それ以上に深く人を傷つけ、それ以 上に悪影響をおよぼす可能性のあるものは、周りの 人たちの沈黙です。いじめられている人は、誰も助 けてくれないことに当惑し、衝撃を受けます。いじ めが見過ごされると分かると、いじめている人はい じめをさらにエスカレートさせ、被害者はますます 困惑し、感じる必要のない恥を感じ、孤独に苛まれ ます。ですから、人のために声を上げて、良くない ことは良くないと、きちんと発言しなくてはなりま せん。いじめられ、ひとりぼっちにされて苦しむと いう体験がどういうものであるか、イエスはよくご 存知です。イエスは、理由もなく逮捕され、打たれ、 あざけられました。マタイ26章56節は「弟子た ちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった」と 語ります。イエスの親友のペテロでさえ、イエスの ことを知らないと三回も言いました。ですから、い じめを黙殺された痛みを誰にも分かってもらえなか ったとしても、イエスだけは分かってくださいます。 しかし、私たちは、人が不当に扱われているのを見 たなら主に祈り求めて、声を上げる勇気をいただき ましょう。 主よ、私たちの勇気を必要とする人たちのために、 勇敢にならせてください。その人たちのために声を 上げ、それを通して、神が彼らの痛みや孤独を見過 ごしておられないことを示すことができますように。 勇気あるクリスチャンの声は、神の声をこだまする。 2015年7月24日ディリィーブレッドから
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