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「仲保者」

香 月泰男を初めて 知ったのは2011年の 東日本大震災 の年であった。同年の 秋、まち 協で「いのちの 旅」を 初めて 企画し金子みすゞ記念館 と 香 月泰男 美術館 を 訪 ねた。代表作である「シベリア シリー ズ」の数点に出 合った。 香月は敗戦 後シベリアに抑留され帰国したの は1947年、 その後抑留体験 を 描いた 全57点(シベ リ ア シリーズ) が遺族により山口県 立 美術館 に 寄 贈され た。「 何だか日本の土地 を踏むこと な くシベリアの 土 に なった 顔、顔 を 描いているような 気がして な ら ぬ」 と 筆 を持つまでには 十年を 要したと述懐をしている。 ◆今 冬、「シベリア抑留 ~ 最後の 帰 還 者 ~ 家 族 をつな いだ52 通 の ハガキ(角川新 書)」で初めて 具 体 的なシ ベリア抑留 生 活 と抑留者 の 呻きを 知った。 義 父 も60 万 人の一人であったが、抑留者たちの < 飢え・極寒・重 労働・日本人同 士の相克>の4 重 苦は「生き 残った 者 は ね、加害者なんですよ」抑留 経験者 の逆説 に代表 さ れる。極限状態で見てしまった“人 間 の 地 金”からの 呪縛と人間不信というダ メージから解放される時は な いとい う。香 月泰男(1911~1974)も その一 人であったに 違 い ない。 ◆ リニューアルされた 北九州 市立 美術館のル オ ー 展 に 数 回 足 を 運んだ。 墨 の銅版 画 58点 の 展示室 の空気 は 重たく感じる。 北九州美術館 の所 蔵 と 知って 驚いた。ル オ ー(1871~195 8) が40 代から15年か け て 制 作した銅版画集「 ミ セ レ ーレ」は 黒 一 色である。 制 作中に 第1次世界 大 戦 が 始 まり、虐げ、孤独、不 正、戦 争 と 災 厄 な ど 不幸や惨 め さの 直 視からル オーは 黒 い色彩 で 展 開したと解説文 は 語る。父親 の 死、疎開、病な ど の 経 験 も 重 なり、磔刑 と なったキリスト像を主題としたのかもしれ ない。 ◆ 画 家 に 限ること な く 芸 術 に携わ る 者にはパト ロンの 存 在 が 往 々にある。パリに 住んでいた福島繁太郎(18 95~1960)がル オーと出 合ったのは1929年 である。交流 は 続 き 第2次世界 大 戦後、画 廊 を 開き日 本で 最初にル オ ー 展を1953年に開催。一方、 香 月 がシベリアから帰国した2年後の1949年、画 商 の 福島は美 術教師 香月の後 押しをし 自らの画 廊 で 個 展 開 催 の支援をし 続 けた。 香月が45 歳から46 歳の時に は 半年の渡欧 を 全面的 に 支 え ピ カ ソのアトリ エにも同 行した。

◆ ル オーと 香月が 描いた「 顔」に 悲しみと鎮魂 を感じ る。 深 い 悲しみを体験した 二人は苦渋から人 間 の 魂 を 呼 び 戻し、いのちを 引き出す。いのち な き 者 に 深 く 寄 り 添った 二人の「 黒 の世界」が確立した。ル オーの 作 品は「納得でき な い 死」を 逃れることができ なかった 者への 痛み・ 悲しみ・「不条理」へと 迫 る 深 い 精 神 性 を 持つ 一 点 一 点であった。ル オーと 香月の直接の出 合 い は なかったが、福島は紹介、発掘、育成、支援、伸展 する「仲保者」を 果たした。人は仲保者 と関係性 を 結 んで 豊かに なる。

(註)ル オ ー 展:2018 年12 月16日~2019 年2月17 日 内山賢次(伝道担当執事)

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