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「いつもあなたがたと共にいる」 泉清隆

「世の光」74巻2号青野太潮氏の「聖書研究」か

ら引用させて戴きます。

数年前の1月4日の朝は福岡から東京の飛行機は満

席でした。私の斜め後ろの窓際の席に、5歳くらい

の男の子がお母さんと並んで座っていましたが、彼

は終始大きな声で泣きじゃくりながら、「おばあち

ゃんのところに帰る!」と言い続けていました。た

ぶん母親の家で、これ以上ないほどに楽しい時間を

祖父母と過ごし、搭乗する前には、きっと彼らと涙

の別れをしてきたのでしょう。男の子の泣き声は、

飛行機が離陸してからもまだ続いていました。どん

なにお母さんが、「飛行機も飛び立ったんだから、

もう泣き止みなさい」と言っても、何の効果もあり

ませんでした。業を煮やしたお母さんは、ついにこ

う言い放ちました。「そんなにおばあちゃんのとこ

ろに帰りたいのなら、その窓を開けて、自分で飛び

降りたらいいでしょっ!」。もちろん彼は、「いやだ

~」と叫びました。しかし、その意味するところは、

お母さんの、そして周りで一部始終を聞いていた私

たちの、意表を突くものでした。「いやだ~、ひと

りじゃ、いやだ~、お母さんといっしょに飛び降り

る~」。あきれ果てたお母さんの様子が周りにまで

伝わってきましたが、私たちはお互いに顔を見合わ

せて微笑みながら、「おばあちゃんに再び会うため

だったら、そして、お母さんと一緒だったら、飛行

機から飛び降りることぐらい、何でもない」という、

そのことばの凄さに驚嘆しておりました。そして私

は、福音書のなかのイエス・キリストのある言葉を、

想起しておりました。その言葉とは、マタイによる

福音書10章29節のイエスの言葉でした。新共同訳で

は「二羽の雀が1アサリオンで売られているではな

いか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許

しがなければ、地に落ちることはない。」しかし、

この言葉を私が思い出したとは言っても、このよう

な翻訳では、いったいこの言葉のどこがどう飛行機

の中の出来事と関連しているのか、まったくわから

ないことでしょう。しかし、この箇所をギリシア語

原文で読んでみますと、まったく異なった意味合い

がそこでは語られていることがわかります。そして、

なぜ私がこのイエスの言葉を思い出したのか、その

理由もおわかりになるでしょう。

実は、この日本語訳には、ギリシア語原文には書かれ

ていない単語が、補足説明として、というよりもむし

ろ、この文章においてはまったく中心的な概念として、

挿入されているのです。つまり、「あなたがたの父のお

許しがなければ」の「お許し」という単語は、原文に

はないものなのです。原文には、「あなたがたの父なし

に」、英語で言えば、Without your Fatherとしか書かれ

ていないのです。つまり、「あなたがたの父なしに、す

なわち、その父が伴なわれることなしに、一羽の雀が

地に落ちることはない」と言われているのです。


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