「この最も小さい者の一人に」 泉清隆
ロシアの有名な作家のトルストイの「愛あるとこ
ろに神あり」というお話しですが、日本では「靴屋
のマルチン」として知られているお話しです。あら
すじは...
最愛の奥さんも息子も亡くして生きる望みも希望
もない、靴屋のマルチン。ふと自分の店に入ってき
た旅人に自分の身の上に起こった不幸と何のために
生きているのかわからない神様なんかいないと語り
始めた。旅人は「これを毎日読み、神様にお祈りす
るといい」と聖書を残して去ってしまった。ある日
のこと、聖書を読んでいたマルチンにイエスはこう
語りかけた。「マルチン!明日、通りをよく見てい
なさい。お前の所に行くからね。」翌朝、マルチン
はイエス様を迎えるために、ストーブに火をつけ、
お湯を沸かし部屋を暖かくした。仕事を始めて、で
も通りの方ばかり気にかかる...。すると通りの雪か
きをするステパノじいさんが寒そうに歩いてきた。
そうだ久しぶりに、ステパノじいさんに温かい紅茶
とクッキーをご馳走しよう!次に赤ちゃんを抱いた
女の人が、オーバーも着ないでうずくまっていた。
マルチンは大急ぎで二人を家の中に入れて、暖炉の
側に座らせた。「暖まったら赤ちゃんにお乳を飲ま
せて」パンとシチューを食べさせた。夕方近く、一
人のリンゴ売りのおばあさんから1個のリンゴを盗
もうとした少年がいた。大急ぎで少年を捕まえたマ
ルチン。おばあさんに謝らせた後、「この代金は私
が払うから、1個お食べ。」閉店になり、イエスは
来なかったとガッカリする彼に誰かが語りかけた。
「マルチン、マルチン。お前にはわたしがわからな
いのかね。」「どなたですか?」「わたしだよ。ほら、
わたしだよ」...暗い片隅から、ステパノじいさんが
笑って出て来ては、消えて行った。「これもわたし
だよ」...また暗い片隅から、赤ちゃんを抱いた女の
人が笑って出て消えて行った。「これもわたしだよ。」
...と、おばあさんとリンゴを手にした少年がにっこ
りしたかと思うと同じように消えて行った。マルチ
ンの心は喜びでいっぱいになった。(ペンネーム「自
由な塩」さんのサイトから引用しました。)
この話の元は新約聖書のマタイによる福音書25
章40節「はっきり言っておく。私の兄弟であるこ
の最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてく
れたことなのである。」からとられています。
この「靴屋のマルチン」は教会でもクリスマスの劇
で取り上げられます。私は西南学院大学の手話サーク
ルに入部していた時に、福岡市早良区の「ろうあ児」
施設新開学園でこの靴屋のマルチンの劇を手話で行い
ました。私はイエス・キリストの役でした。耳の不自
由な子どもたちへの手話の劇でしたから、イエス・キ
リストは見える形で出演して手話をで語ると言うこと
になりました。「私はステパノじいさんと同じ」「女の
人と同じ」「少年と同じ」と手話で表現したのを思い出
しています。
現在、ロシアとウクライナの戦争状態の中にクリス
チャン作家トルストイの「愛あるところに神あり」が
思い起こされるようにと願って書きました。
Comments