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「わたしには確信がある」  金子政彦

「主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。/主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう。/さいなむ者が迫り/わたしの肉を食い尽くそうとするが/わたしを苦しめるその敵こそ、かえって/よろめき倒れるであろう。/彼らがわたしに対して陣を敷いても/わたしの心は恐れない。/わたしに向かって戦いを挑んで来ても/わたしには確信がある。/ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。/命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。」     (新共同訳 詩編27:1~4)


 先日、職場の聖書集会でお話がありました。ウクライナにロシアが侵攻し、人々の命が失われている世界の中で、詩編27編1~4節が示されました。お話しされた牧師はおっしゃいました。『ここで示されている「恐れ」、「おののき」、「さいなむ者」、「私の肉を食い尽くそうとする敵」は、人生にはついてまわるものです。しかし、詩人は危機の只中にあっても「わたしには確信がある」といいます。詩人が求めていることは、ひとつのことだけです。命ある限り、教会にいて、礼拝をし、祈り、み言葉を聴くということ。いつも神と共にいるということ。さまざまな人生の危機の中にあって、いつも神の臨在を願い求めること。神が私に臨んでくださるとき、「夢」や「希望」や「信仰」や「確信」はすべて同じ意味になり、私たちは喜びに満たされます。』


 人生には、私たちの「夢」や「希望」や「信仰」や「確信」を打ち砕こうとする現実がたくさん起こります。ウクライナで起こっている戦争は、その卑近な例でしょう。「実際に戦争が起き、それを誰も止められず、大勢の人が殺されていく。平和主義(pacifism)は理想であって、現実世界で実現しない。そんな卑怯で弱腰なことで大切なものは守れはしない。自分を守るための力は必要なのだ。」そんな声が高まります。


 私たちは、冷静に歴史を振り返る必要があります。軍事力で、真の平和が実現するのでしょうか?私たちは、世界各地で、復讐の連鎖を目の当たりにしています。やられたら、やり返す。一つ殴られたら、二つ殴り返す。復讐の連鎖は、エスカレートしていきます。それもまた、世界の現実です。

聖書は、復讐の連鎖を戒めます。むしろ、敵を愛し、敵の為に祈れと命じます。剣を鋤に、槍を鎌に打ちかえること。平和への取り組みをあきらめないこと。命ある限り、教会にいて、礼拝をし、祈り、み言葉を聴くということ。どんな状況にあっても、詩人のいうその確信から離れないこと。神は、必ず、新しい朝を、希望の朝を与えて下さいます。神がいつも共にいて下さるという確信は、私たちの心から、相手に対する恐れの心を追い出してしまいます。教会に集まる私たちは今、その確信をもって、平和を実現しようと世界に働きかけているのです。

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