「イエス・キリストは笑ったのか」 泉清隆
東ブロックの教会の皆さんと子ども集会を計画し
ている中で、毎回順番で聖書のメッセージを参加者
が語っています。前回Fさんのメッセージから教え
られました。
イエス・キリストは「涙された(ヨハネによる福
音書11章35節)」「怒られた(ヨハネによる福音
書2章15~16節)」「疲れた(ヨハネによる福音
書4章6節)」「のどが渇いた(ヨハネによる福音書
4章7節)」などはありますが、聖書のどこを読ん
でも「イエスは笑われた」とは書いてありません。
私はいつもイエス・キリストは微笑んでおられたの
で書く必要がなかったのだと解釈しましたが、Fさ
んは聖書学者たちが聖書の写本を書き写す途中で
「笑うなどとは威厳を損なうもの」として削除され
たのではないかという意見でした。
聖書の言葉には行間というものがあります。もと
もとはあったのですが、必要ないと思われたかもし
れません。
天野祐吉というコピーライターは「イエス・キリ
ストは世界最高のコピーライターだ」と言っていた
そうです。コピーライターというものは言葉を削り
に削って短い言葉で多くをイメージさせるのです。
イエス・キリストの言葉もそのようであると言うの
でしょう。
笑いは大事です。脳科学者の中野信子さんによる
と、1日に笑う回数は子どもが300回、大人は17回、
70歳以上はなんと2回だそうです。
そして人をけなして笑う笑いではなく良い笑いが
必要です。もともと多くの笑いは権力に向けられた
不満のはけ口でした。庶民は権力者を笑うことで溜
飲(りゅういん)を下げていたのです。
最後に、方言はきつい言葉も柔らかに包むもので
はないかというのです。
ヨハネによる福音書8章10節以下のイエス・キ
リストの言葉を博多弁で
「わいた~、だれもおらんごとなっとる。ああたに誰
も何もできんやったったい」「あたっかも 何もせんけ
ん 帰ってよか。ばってが これから先 罪ばおかさ
んごとしんしゃいよ」
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