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「パウロはイエス・キリストに会っていたのか」 泉清隆

  • kogabaptist
  • 2022年4月29日
  • 読了時間: 2分

コリントの信徒への手紙二の5章16節「それで、

わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとは

しません。肉に従ってキリストを知っていたとして

も、今はもうそのように知ろうとはしません」この

パウロがイエス・キリストを肉に従って知っていた

という箇所から、パウロは生前のあのナザレのイエ

ス・キリストに対面で会っていたのかという論文を

神学校の時に読んだ事がありました。

イエス・キリストの復活理解が難しいという意見

を伺いました。確かにイエス・キリスト誕生の(ク

リスマス)、イエス・キリストの十字架からの復活

(イースター)、そして聖霊降臨(ペンテコステ)と、

キリスト教に馴染みのない方たちには段々と理解が

難しいように思います。

2021年度の「世の光」の聖書研究には西南学院大

学神学部の青野太潮名誉教授が執筆されています

が、そこにはパウロはユダヤ教から回心して後に、

「十字架上で殺害されてしまったままのイエス」に

出会ったと記しています。そしてこの時の動詞の時

制が現在完了形であり、私たちの苦しみと共に今も

ある事を表している。パウロは歴史的な出来事、歴

史的実像としてイエス・キリストの十字架の可視的

な目撃者ではなく、パウロが「内側」で「実存的に」

受け止めた(存在)で、歴史的現象としていえば幻

(Vision)を見たという事であると書かれてありま

す。コリントの信徒への手紙一15章5節以下「キ

リストが現れた」→「キリストは見られた」復活さ

れたキリストを見た、解釈した、主観的に見たとい

います。

現代の科学でも医学でも明確に説明のつく「幻を

見るという体験」を大切にしたいということで「幻

視体験仮説」で聖書を読むといろいろな箇所が良く

理解できるという事です。「心の目をもってしか見

る事のできないものは、心の目をもって見るように

しましょう。」と結ばれています。

現在、テレビション(TELE-VISION)で離れた場所

の映像を見る事ができます。私たちは聖書を通して

時空を超えて信仰という心の目でイエス・キリスト

を見ています。イエス・キリストと相対しています。

「わたしは絶えず主に相対しています」

(詩編16編8節

 
 
 

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