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「パレスチナ問題とキリスト教そして日本」 泉清隆

このタイトルで「西南学院大学学術研究所 神学

論集78巻1号」に濱野道雄氏が論文を書いておら

れます。2020年の4月のものですが、今、必要な学

びであると思い引用します。

「学問において中立という立ち位置は無く、特にパ

レスチナ問題のような複雑な価値判断を伴う場合に

は立ち位置を最初に自覚しておくことが重要に思え

ます。その際、私は「イスラエル国か、パレスチナ

国か」の枠組みではなく、むしろ「ユダヤ人とも、

アラブ人とも生きる」立ち位置で考えたいと思いま

す。さらに言えば「パレスチナ問題」と言う言葉を

使いましたが、本来はまず「路上に捨てられた一人

の人」、また在外研究中に出会った名前のある一人

一人といかに共に生きることができるのかという問

題として考えたいのです。そしてその問題は「日本

に住む、キリスト者」の私自身の問題として考えら

れるし、考えるべきだと思います。作家の村上春樹

氏が2009年に行った、エルサレム賞受賞式でのスピ

ーチを思い出します。彼はこう言いました。「高く

て硬い壁と、それにぶつかって割れてしまう卵の間

で、私は常に卵の側に立ちます。そうです、その壁

がどんなに正しくても、その卵がどんな間違ってい

ても、私は卵の側に立ちます。」(朝日新聞11月6日

の天声人語でも取り上げられました。牧師注)この

言葉に全く共感します。そのような立ち位置に立つ

のは、村上氏や私だけではなく、パレスチナとイス

ラエルの地に平和を望むいくつかの団体の立ち位置

にも思えます。例えば、東エルサレムの聖ゲオルギ

ウス大聖堂に掲示されていた、クリスチャンエイド

というイギリスの慈善団体のポスターにはこうあり

ました。「アラブ人の為に、あるいはユダヤ人の為

に、そしてパレスチナ人の為に、あるいはイスラエ

ル人の為に祈ってくれるな。しかし自分たち自身の

為に祈れ。私たちがその祈りにおいてあの人々を分

断するようにではなく、あの人々双方共を私たちの

心に覚え続けるために祈れ。」このような例は他に

もあるのですが、これが私の立ち位置でもあります。

…この立場に私も同感です。

この論文の 1.現状では、紛争においては死者

数が百倍は違う、経済格差は11倍。人口はほぼ同数

の700万人です。そして宗教的背景ですが、イスラ

エル側は75%がユダヤ人でユダヤ教です。そして内

訳として、超正統派9% 現代正統派13% 伝統派29%

世俗派49%となり、イスラエルのユダヤ人の8割は

ユダヤ教徒としての自覚的な信仰をもっている訳で

はないというのです。

ユダヤ人以外は17%がアラブ人イスラム教徒、そして9%

がアラブ人キリスト教徒です。一方、パレスチナの人

はほぼ全員アラブ人ですが、イスラム教徒は92%そして、

キリスト教徒が7%です。という事で、イスラエルとパ

レスチナのアラブ人を合わせた中でキリスト教徒は9%

です。日本よりも多いキリスト教徒がいるということ

です。そしてこの信仰熱心と言われている超正統派の

ユダヤ教徒の理解は現在のイスラエルの国は「神の意

思ではなく、人間の意図による建国」であると理解さ

れています。(次週に続く)

この論文は公開が控えられていましたが、現在公開さ

れています。「西南学院大学学術研究所 神学論集78

巻1号」で検索できます。

http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/2375

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